「B.L.-TrueBelief(前)」
いづみ


 早朝の空気は静けさを保っていた。

 ましてや神殿内でならばなおさらだろう。
 そんな中。まだ柔らかな光が窓からさす廊下に、その静けさを崩さないまま一つの小さな足音が響いていた。
 歩幅は小さいが、足取りは速かった。
 小柄な体を包むのは白を基調とした服。過剰な装飾を省きながらも、全体的にはどこか気高い美しさを感じさせる雰囲気がある。
 歩みに合わせて、肩を越えるほどの長い髪がかすかに揺れた。一見黒色だが揺らめくと光を通して赤い色を見せる。
 そして同じく赤みを帯びた黒い瞳は毅然として前を見つめていた。幼さをまだ少し残した、年端も行かぬ少女のような顔立ち。だがその顔にその大人びた表情は不自然さを思わせることなく存在していた。
 やがて足取りは止まった。正面にそびえるのは、厚みのあるしっかりとした造りの扉。
「二位巫女、セイン・リア。ただいま参りました。」
 凛とした声が静寂を割った。

 わずかに間があって、扉が静かに開かれた。
「ああ、よく来てくれた。入りなさい。」
 中から顔を出したのは、同様に白い服に身を包んだ一人の初老の男性だった。
 彼女―セインはその後に続いて部屋に入った。
 男性は部屋の中の椅子に腰掛けた。そしてセインに、机を挟んで向かいの椅子に座るように促す。
 一礼をしてからセインはその椅子に腰掛けた。
 それを確認してから、男性は口を開いた。
「朝早くに呼びつけてすまなかったね。前夜のうちに済ませられればよかったんだが、書類を揃えるのに手間取ってしまったんだ。」
「いえ、普段と変わりはありませんから。」
 穏やかな眼差しで語りかける男性に、セインも微笑みを見せて答えた。
「前回の任務もご苦労だった。村人から、感謝の言葉が届いてるよ。」
「い、いえ…ありがとうございます、フレイス様。」
 その言葉に微笑みをわずかに崩し、頬を赤らめるセイン。
 フレイスはそれをにこやかに見つめたまま、数枚の書類を取り出して机の上に並べた。
 それを見てセインの表情が再び真剣なものになる。
「早速だが本題に入らせてもらうよ。新たな任務を頼むことになった。―まずはこれを見てくれ。」
 言葉と共に三枚の書類がセインの手に渡された。
 礼を言って受け取り、すぐにその書類に目を通す。
 少しの間の後、その顔が再び目の前のフレイスに向き直った。
「『風に乗る獅子(ウィンディ・レオ)』の出現報告…魔獣駆除の依頼ですね、分かりました。」
 毅然とした表情、それは自らの仕事に誇りを持って向かう者の顔だ。
「ああ、その通りなのだが…少し気になることがあってね。」
「え?」
 フレイスは残りの書類をセインから見えるような向きに並べた。そこには文書といくつかの表が載せられている。
「まずは、今回の派遣先を見たまえ。」
 セインは机に置かれた書類の一枚に目を落とした。
 『ミセルの村』
 その名を目にし、セインの表情が意外な驚きをもったものに変わる。
「ここは…確かあの、『平和な隠れ里』!」
「うむ。こちらでも記録を当たって確認したが、実に31年ぶりの依頼だったよ。」
 そう言ってフレイスは残りの書類を示してみせた。
 そこに記されているのは近隣の村からの依頼の数などをまとめたものだ。そしてミセルの村には、言葉の通り31年前を最後に以後全て『0』と記されている。
 これは珍しいことではあった。立地条件などにもよるが、普通の村からは年に数度ほど神殿に魔物などの調査及び駆除の依頼が来る。時には数年0が続くことはあっても、これほどの長期間依頼がないのはきわめて異例である。だが、理由が分からないため手を出せなかったことと依頼の必要がないその事自体は喜ばしいことであるために、ミセルの村は半ば放置されていた。
 …その平和が不意に破られたのだ。
「何かがあったのでしょうか?」
「いや、まだそれは分からん。そもそもこれは村からの依頼ではない。」
「というと?」
「目撃報告をくれたのは、いずれもたまたま村を訪れた行商人だ。逆に村民からの話はこちらには届いていない。」
「それは…。」
 セインは首をかしげた。
 妙な話だった。そもそも村の周辺に魔獣が現れたりしたのなら、最も多く目撃するのはまずその村の住民だ。行動領域が近いために遭遇率も高くなるのは当然のことである。
 だが、今回の目撃報告はどれも村の外の人間からのものだった。
「見間違いの可能性は?」
「それはないだろう。報告者の中には毛皮を扱う商人もいた、『風に乗る獅子』を見間違うはずはあるまい。それにこれだけ報告が集まれば偶然では片がつかない。」
 報告の数は三つ。日付はばらばらで、その間は全体で一年半にもなる。だが報告されている対象が同一のものである以上、もはや偶然とは言えまい。
「…妙な話ですね。」
 そう、奇妙な話だった。なぜか危険に遭わない村。その平和が突然に崩れた。だがその事実を目撃したのは村民ではなく外部の人間。
「その通りだ。だからこそ、この任務を任せることにする。」
 セインの言葉に大きくうなづいてフレイスは答え、そしてセインに向かって続けてこう言った。
「任務内容は『風に乗る獅子』の発見及び駆除。―そして、ミセルの村の再調査だ。」


「…舞い降りし天の御使いは、その光もちて地にあふるる闇を払えり。」
 記されているのは古の伝説。世界が闇に覆われ滅亡の危機を迎えた時のことだ。
 それは壁のレリーフに彫られ、物語を今も見る者に伝え続けている。
「人を飲みし闇は姿を失いて、」
 正確な事実はもはや誰にも分からないが、伝えられてきた物語であることには間違いはない。
 少なくとも、この物語を信じるものにとってこれは真実だ。
「清き光が世界を照らせり…。」
「―何だ、神官(プリースト)って聞いてたがこんなお嬢さんか。」
 不意に聞こえてきた声に、セインは振り返った。
 ここは神殿の一室。その入り口に、二つの人影があった。
「あなた方は…。」
「今回の仕事を依頼された狩人(レンジャー)さ。ま、よろしくな。」
「魔獣相手の仕事なら、こっちもプロだから。任せてくれればいいわ。」
 若い男性と女性。彼らはそのままセインの方へと歩み寄った。
 セインのいるのはやや薄暗い部屋だが、近づくにつれてその姿が明確になってくる。
 男性は身軽な金属鎧を身につけ、腰に短剣と矢筒を下げていた。背に回されているのは恐らくは弩(クロスボウ)だろう。よく使い込まれているのか弩の輝きは鈍くくすんでいる。そして女性は色鮮やかなマントをまとい、手には古びた長杖(ロッド)を持っている。青色味の強いその髪は華やかな服装によく映えていた。その中で古びた杖だけが、どこかそぐわないものを感じさせる。
「―で、名前は?依頼主のそっちから名乗るのがスジってもんでしょ。」
 突然の鋭い声だった。
 歩み寄るこの女性から、彼らを待つセインの下に声が飛んだのだ。
 その言葉にセインは慌てて礼をする。
「…すみません、申し遅れました。私はライセラヴィの二位巫女、セイン・リアです。よろしくお願いします。」
「ん。俺は冒険者(アドベンチャラー)兼狩人のティーン・カファス。仕事(ジョブ)は射手(ボウナイト)をしている。で、こっちが…。」
「彼のパートナーをしているパルス・ノヴィザ、魔術士(ウィザード)よ。よろしくね神官さん。」
 二人はそのままの姿勢を崩すことなく簡単に自己紹介をした。
 セインはその口調や態度にどことなく横柄さを感じたが、それは胸の内に収めた。
 もともと神殿の仕事で冒険者と組むことは多い。その中には、セインの幼い外見からその力を判断する者もいる。そんな相手には多少なら慣れていた。
 ただ、初対面の段階でいきなり「こんなお嬢さん」呼ばわりされたことはなかったが。
「…それでは詳しい仕事の説明をしたいと思います。こちらにお越しください。」
 セインは軽く礼をしてそう言ったが、返事はなかった。
 だが構わずに歩き出すと足音はついてくる。
「………。」
 やはり、セインは感じた印象の悪さを拭えなかった。

 今回の任務は主としては現れたという魔獣の確認と駆除だ。そのために神殿は、この種の仕事に長けた狩人を呼んで神官と共同で仕事に当たらせることにした。
 そこで今回雇われたのがこのティーンとパルスの二人であり、先ほどのセインは彼らの到着を待っていたのだ。
 狩人は魔獣や魔物を相手にするための能力を身につけている。森林や山岳地などの厳しい環境の中でも待ち続け、わずかな痕跡を見落とすことなく追跡を行い、最後には確実にその相手の駆除を行う。
 長射程を有し速さと威力に優れた弩使いと、オールマイティな魔法の使い手のコンビ。今回の仕事に適任であることも間違いなかった。
 ただ、セインの内にはかすかな杞憂があった。共同で仕事に当たる以上は互いの協力が不可欠だ。だが彼らは自力で仕事を終わらせるつもりらしい。必ずしも今回の相手はくみし易くはないというのに。
 〝風に乗る獅子(ウィンディ・レオ)〟―中型の魔獣である。個体数こそ少ないが行動半径が広いため、冒険者の間ではそれなりに知られている存在だ。気性はかなり荒く、飢えれば人を襲いもする。恐るべきはその身に宿した風の魔力だ。その力はある程度自在に風を操り、名が示すように飛行すらする。
 そして長毛の白い毛皮には魔力の一部が宿り、その希少さと美しさゆえに高値で取引される。
 狩人側としては、仕事を引き受けた理由にはこの毛皮のこともあっただろう。そしてだからこそ彼らは自力で仕事をこなそうとする…あるいは、セインに対する評価も影響しているのかもしれないが。
 いずれにせよ、あまり好ましい状況とは言えなかった。


 結局この初日は顔合わせと打ち合わせで終わり、問題の村に向かうのは翌日になった。
 ミセルの村までは森を通って歩きで約半日。それほど遠いわけでもないので、徒歩で移動することにしたのだったが。
「冗談じゃないわよ!こんな暑い中、半日も歩いて移動しろって言うの?」
 不満も露わにそうはっきりと口にしたのはパルスだった。
 集合場所の神殿前。まだ朝は早いために道行く人の数は少ないが、その分この声はよく響く。
 彼女の言い分も最もである。今は初夏、早朝こそ涼しいがこれからの道中暑くなることは確実と言えた。
「…はい。」
 そしてセインは一言返事をするしかできなかった。
「今回の仕事の依頼主はそっちでしょ?だったら目的地までの馬車ぐらい用意してくれたっていいじゃないの!」
 しかしそんなセインにお構いなくパルスは一方的に自分の主張をまくしたてる。
「大体仕事をそれなりに急ぐんだったら、半日もかけて歩いて行くなんて時間の無駄だわ。全く、神殿のエライさんは何考えてるんだか!」
「ま、それくらいにしといてやれよ。パルス。」
 そこに口を挟んだのはティーンだった。
 不機嫌そうなパルスの肩に手を回して強引に抱き寄せ、顔を近づけるようにして直に語りかける。
「半日ぐらい、ちょっとした運動と思えばいいさ。どうせ今回の仕事もすぐ終わるんだし。」
「まあね…。」
 その言葉に、ようやくパルスの言葉から棘が消えた。
「あ、それから神官のお嬢ちゃん。」
「え?あ、はい。」
 少し目線を外すようにしていたところに、唐突に呼ばれてセインは戸惑った。
 慌てて顔を上げるとティーンがこちらに目線を移していた。
「念のために確認しておくが、商人の馬車とかは当然なかったんだな。」
「ええ。午前中のうちに、ミセルの村方面に向かう馬車はありませんでした。一応午後ならありましたが…。」
「じゃあそれにすればいいじゃないの。」
 姿勢を戻したパルスが、ねめつけるような視線と共に口にする。
「それでも到着の時間は同じぐらいです。それに、直接辺りの様子を見ながら移動した方が状況がよく分かるかと思いまして。」
 セインはできる限り丁寧に答えようとはしたが、言葉の端に硬い響きが混じるのだけは抑え切れなかった。
「道中の観察程度で魔物とかが見つかるなら、誰だって苦労しないわよ。」
 それを感じ取ったのか、パルスの口調も再び辛辣なものになっていく。
 とっさに次の言葉が出ず、セインは口ごもった。
「―おいおい、その辺にしとこうぜ。」
 呆れたような声がその嫌な空気を強引に割った。
 言葉を発したティーンが、頭を掻きながらさらに言う。
「パルスもいい加減諦めろよ、大人気ない。いい女が台無しだぜ。」
 その一言にパルスは気まずそうに視線をそらした。
 そしてティーンはセインに向けても言った。
「それから嬢ちゃんもほどほどにしといてやってくれ。まああんたは知らないだろうけど、狩人ってのも色々大変なんだよ。」
「…すみませんでした。」
 セインは二人に向けて、素直に頭を下げた。
 だけど、ティーンのその言葉もまた少し引っかかり、どこか釈然としない気持ちは治まらなかった。

 そんなやり取りの後の移動は、当然のようにひどく静かなものになった。
 最初はセインも相手のことを知ろうと多少は話しかけたのだが、大抵はパルスとのやり取りがうまくいかずに会話が尻すぼみになってしまったのだ。
 ティーンも多少はなだめ役にまわっていたものの、途中からはいい加減面倒になって嫌気がさしたのかほとんど口を挟まなくなった。
 そういったわけで会話のないままに移動は続いた。

 だがこの静けさを破ったのは、悲鳴だった。
「助けてーっ!」
 甲高い子供の悲鳴。それもそう遠くはない。
 三人は同時に駆け出していた。
 辺りを見回しながら走る。少し行くと、鈍い音が繰り返し聞こえてきた。何かが強くぶつかる音。それに重なるようにして葉擦れの音もする。
「―あそこだ!」
 ティーンの声にセインは顔を上げた。指差した先、森を少し入った辺りだろうか。木の上部が不自然な揺れ方をしているのが分かった。
 先に駆け出していたティーンとパルスに一瞬遅れて、セインもその場所へと向かう。
「!」
 先を塞ぐ草を手にした杖で掻き分けた瞬間、その姿は目の前に現れた。
 灰色の毛皮をした、明らかに普通のものよりも大型の狼がしきりに木に体当たりをしていた。幸い他に仲間の姿は見えない。
 そしてその上、揺れる木に必死でしがみついていたのは一人の少年だった。まだ10歳程度だろう。恐怖にか震えているのがここからでもよく分かる。
 木がまた揺れた拍子に、若い木の葉が散るのが見えた。
 セインは迷わずに杖をかざした。
「光の糸よ、その者の(イ・アセ・リト・ト)…」
 ヒュン!
 その瞬間、セインの横を一本の矢が突き抜けていった。
 一瞬呪文が途切れる。そのわずかな間に矢は暴れる猛獣の脇腹に深々と突き刺さっていた。
 苦痛にか一声悲鳴らしきものをあげ、狼はすぐに森の奥へと逃げ込もうとした。さっきまで体当たりをしていた木を足場代わりに強く蹴る。
 反動で木がひときわ大きく揺れた。少年の悲鳴があがる。
「氷の波よ、奴をその内に飲み込め(イ・ホペ・ワテル・ワイプ・トゥウィンラド・ヘ)!」
 だが、その直後に放たれた魔法は逃げようとする狼に襲い掛かった。パルスのかざした杖の先端から氷がまるで水流のように放たれ、狼を瞬時に包み込んだ。
 それと同時にもう腕の力が限界に来ていたらしい少年が揺れる木から跳ね飛ばされた。
「…その者の体を支えよ(リム・ト・キン・ドシナ)!」
 セインは発動しかかっていた魔法を素早く組み替えると、落ちゆく少年に放った。
 少年の体に光る糸が幾筋も絡み、その体を包んで受け止めようとする。
 その糸の先は辺りの木々にも巻きつき、あたかも網のように広がった。しかし落下する少年の体の勢いにその網は大きくたわむ。
 重みで木の枝がしなり、中には耐えかねて折れるものもあった。
 セインは網に意識を集中した。魔法の急激な変更と更なる負荷のせいか頭がずきりと痛んだ。
「…くっ。」
 それでも網は破れることなく、数回上下へのたわみを繰り返した後その動きは収まった。
 セインは急いで駆け寄り少年を地面へと下ろした。その体を静かに横たえる。
「柔らかき光よ、彼を包みてその体を癒せ(イ・アセ・リト・ト・カレ・ヘ)。」
 体の様子を簡単に確認してから癒しの魔法を使った。ほのかな光が少年を包み、あちこちの擦り傷が消えていく。
 傷が消えたのを見てセインは杖を置いた。気絶したままの少年の額をそっと手で撫でる。
 ようやく、少年は目を開いた。
「大丈夫?」
「う…うん。」
 少し戸惑ったようだが、少年ははっきりと答えた。
「痛いところとかはない?」
「…平気。いたくない。」
 少年が体を起こす。それを見て安心したセインは、ようやくある事を思い出して辺りを見回した。
 探す相手はすぐに見つかった。少し離れた所で、今仕留めたらしい狼の始末をしている。
 不意に鼻先に生臭い臭いを感じた。思わず顔をしかめる。
「―少し、待っててね。」
 少年にここで待つよう言い聞かせると、セインは杖を手に立ち上がった。
 大股で歩み寄る。血の臭いがひどく鼻についたが、構わずにそのまま進んだ。
 二人は振り返りもしない。気づいてさえもいないのか談笑しながら作業を続けている。
 セインはその後ろに立ち、怒鳴った。
「―あんまりじゃないですか!」
 もはや怒りを隠そうともしていなかった。立てた杖を握り締める手が震えている。
 そしてようやく、ティーンとパルスは振り返った。
 セインの様子がおかしいことに気づいたティーンが立ち上がる。
「…おいおい、何をそんなに怒ってるんだよ。」
 そう言って赤い血に染まった手を無造作にセインの方に伸ばした。
 反射的に、セインはその手を払った。
 その仕草にティーンの表情が険しくなる。
「あ…。」
 それを見てセインはうろたえた。だが、すぐに表情を厳しいものに戻してティーンを睨みつける。
「ちょっと、言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃないの。」
 そこに苛立ったパルスの声が届いた。
 セインはそちらに視線を移したが、パルスは不機嫌な表情を変えることなく睨み合った。
 視線が真っ向からぶつかる。
 ややあって、セインは大きく息を吸った。
「…あなたたちには、人の命よりも獲物を狩ることの方が大事なんですか?」
 先ほど怒鳴ったのとは異なり大声ではなかったが、声にこもる怒りはむしろ増していた。
 セインは先ほどまでの二人の様子に心から怒っていたのだ。
 少年が危ないにもかかわらず獣を狙うだけで、さらにそのせいで少年が危険にさらされても全く構わずに、今もこうして獣の始末をしている。
 …セインには信じられなかった。そして我慢ができなかった。
「ああ、あのガキのことか。」
 ようやくセインの言いたいことが何か分かったらしく、ティーンはそう言った。
「あの子?ちゃんとあなたが助けたんだからいいじゃないの。」
 そしてパルスも当然のように言った。
 思わず、一瞬セインは言葉を失った。
「―それは結果です!もし私が間に合わなかったらどうするつもりだったんですかっ?」
「…勘違いするなよ。」
「!」
 突然、ティーンの口調が変わった。
 セインを冷たく睨み、言い放つ。
「こっちは狩人だ。獣を狩るのは仕事だが、ガキの面倒まで押し付けられちゃいい迷惑なんだよ。」
「それは…!」
 なおも言い返そうとするセインを今度はパルスが遮った。
「ちゃんと私達は自分の仕事をしてるわ。少なくともあなたに文句を言われる筋合いはないわね。」
 パルスの目にはかすかにだが見下すような表情すらあった。
 口ごもるセインにさらに言葉が浴びせられる。
「俺たちは獣を狩るのが仕事だ。そして、そっちの仕事がこういうガキを守ることのはずだろ?」
「お互い、口出しはやめときましょう。あなたの働きはちゃんと信じてるから。」
 信じてる?
 決して信じられなどしない言葉を聞き、ついにセインは完全に言葉を失った。
 そんなセインの様子には構わず二人は再び作業に戻った。
 セインは呆然と立ち尽くす。
 耐えかねて小さくうつむいた瞳には、いつの間にか涙がにじんでいた。
 降り注ぐ木漏れ日がそれぞれの姿を斑に照らす。風が葉を揺らし、その光は不規則に乱れた。
 そして二人はすぐに獣の始末を終えた。
 再び振り返り、なおも立つセインに気づく。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「…。」
「…まあいい。俺たちは先に村に向かわせてもらう。どこに連れてくつもりか知らんが、足の遅いガキと連れだって行ってたら目的地への到着が遅くなるからな。」
「ほら、ほっといていいの?そこであの子が怯えてるわよ。じゃあね。」
「…では、後ほど。」
 セインはうつむいたままそれだけ言うのが精一杯だった。
 その横を足音が通り過ぎる。
 その音は、セインの耳には何かを踏みにじるかのように聞こえた。

「…お姉ちゃん?」
 足音が去ってしばらくしてから、その声は耳に届いた。
 振り返ると、少年がすぐ近くまで来ていた。どこか不安げに自分をじっと見つめている。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
 彼の今の不安は自分のせいでもあるだろう。心配そうに問いかける少年に向かって、セインは優しく微笑みかけた。
「…うん、大丈夫だよ。そろそろ行こうか。」
 軽く目をこすり、少年の手をそっと握る。
 少年はその手をぎゅっと握り返してセインに笑顔を見せた。
「うん!」
 そのまま手を引いて少年が先に歩き出そうとした。
 それに合わせてセインも一緒に歩き出す。
 自分の手を引くその手の温かさが、少し嬉しかった。
 連れだってまずは道へと向かう。セインは並んで歩く少年に話しかけた。
「ねえ、君…名前は何て言うの?私はセイン。」
 セインの問いに少年は元気よく答えた。
「イーノ!」
 最初は多少不安げだったが、今は活発そうな態度を見せている。恐らくはこれが少年―イーノの本来の性格なのだろう。
 自分がこの少年に慰められたことに、セインはちょっとだけ苦笑した。
「どうしたの?」
「え?ううん、何でもないよ。」
 その様子に気づいたイーノが問いかけてくる。セインは首を軽く横に振って答えた。
 ちょうど森から道へと出たので、立ち止まってそのまま尋ねてみる。
「そうだ。君の家はどこにあるの?」
「うーんと、あっち。」
 イーノはセインが向かおうとしていた方向を指差した。
「あっちってことは、ミセルの村?」
「うん、そうだよ!」
 幸い送り届ける手間はかからなさそうだ。その事に安心して、セインは再び歩き出した。
「よかった。お姉ちゃんもそこに行くところなんだよ。」
「ふーん。じゃあ、あんないしてあげる!」
 イーノはそう嬉しそうに言うと、セインの手を掴んだまま走り出した。
「あ、こら!」
 セインは一瞬よろめいたが、すぐにそれに合わせて駆け出した。さすがに10歳児とでは歩幅の大きさが違ううえに、一応は仕事柄多少の体力もあるので、合わせて走ることはそれほど大変ではない。
 太陽が高く上ってきたせいか暑くなり始めていたが、流れる風は肌に心地よかった。
 しばらくそのまま走り続ける。と、体力が尽きたのかイーノの足が遅くなった。
「はー、はー。おねえちゃん、強いねー。」
「そうかな?」
 互いに息を切らしながら会話する。自分の息を整え、イーノも落ち着いたのを見てセインは再びその手を取った。
「じゃ、ここからはまた歩いていこうか。」
「うん。」
 イーノが素直にうなづいたので、今度はちゃんと二人で並んで歩き出した。
 少し暑くなる。だが、所々道に張り出した木陰のおかげでそれほどつらくはない。
 両側に広がるそんな森を見て、ふと気づいた。
「ねえイーノ、どうしてあんな所にいたの?」
 彼が襲われていた場所は、ミセルの村からはそれなりに距離があった。少年の足ではなおさらだ。そんな遠くまで、一人で遊びに来るとは考えにくかった。
「…えーと。」
 すると、なぜかイーノは口ごもった。少し不安そうにセインを見上げる。ただ、困っているというよりは何か決まりが悪そうな表情だ。
 セインは足を止めると少年の前に回ってしゃがんだ。
「どうしたの?どうして答えられないのかな?」
 視線を同じ高さに合わせて、じっと目を見て尋ねてみる。
 この年頃の男の子の扱い方は、修道院で小さい子の面倒を見たこともあるので慣れていた。あれは何か悪いことをしでかしてごまかそうとしているときの態度だ。
 こういう時はその目を見てきちんと問いかけると、多くは正直に話してくれる。
 そしてイーノもその例に洩れず、おずおずと口を開いた。
「……だれにも言わない?」
「悪いことをしたんなら、ちゃんと謝らなきゃダメだよ。」
 セインはきっぱりと言った。しつけは大事だし、嘘はつけない。
 イーノはさらに少し迷ったようだが、結局は自分から話し出した。
「あのね、どきょうだめしに行ったの。」
「ど…度胸試し?それで、こんな遠くまで?」
 一瞬言葉の意味が分からずに問い返してしまった。『度胸試し』、自分で繰り返してようやく理解する。
 だけどそれだけだったらこんな遠方に来ることもないと思うが…。
 戸惑うセインにイーノは言った。
「だって、近くの森はこわくないもん。」
「そんなことないよ、森には危ない動物だっているんだよ。さっきみたいな狼もいるんだから。」
 セインが教え諭す。しかしイーノは首を横に振った。
「ううん。近くならだいじょうぶってママも言ってたもん。」
「え…?」
 その言葉にセインは驚いた。
 森には獣の類がいるから子供一人で行かせては危険だと言う事は大人なら誰でも知っている常識だ。そしてイーノぐらいの年齢ならば、それを普通は習っているはずでもある。
 だが彼の言葉はそれとは明らかに食い違っていた。
「―ねえ、早く行こうよ。」
 突然、手が引っ張られた。
 顔を上げると退屈そうな表情をしてイーノがこちらを見ていた。手を引いてすぐにも出発しようとしている。
 自分がつい考え込んでいたことに、ようやくセインは気づいた。
「あ、うん…そうだね。」
 セインはうなづくと立ち上がった。
 手を引かれて再び歩き出す。二つの小さな足音が並んだ。
 横を歩くイーノをそっと見ると、彼は不思議そうに自分を見返してきた。
 再び尋ねる。
「ねえ、イーノ。近くの森は危なくないって、誰に教わったの?」
 生じた疑問は消えそうになかった。
 強い違和感。だが同時に、『平和な隠れ里』の二つ名が脳裏をかすめた。
「みんな言ってるよ、お姉ちゃん知らないの?」
 そのセインの問いかけにイーノは当たり前だと言うかのように答えを返す。
 セインは素直にうなづいた。
「…うん。それに、お姉ちゃんはミセルの村の人じゃないからね。」
 きょとんとするイーノに説明を付け加える。
「お姉ちゃんはミセルの村には行ったことがないんだ。だから、村のこととかあまり分からないの。」
「じゃあぼくが教えてあげる!」
 イーノがはっきりと、そしてどこか誇らしげに言った。自分が教える立場になるのが嬉しいのだろう。
 セインは笑ってありがとうと答え、行く道を見た。
 森がそろそろ途切れようとしていた。その先には簡素な柵らしきものも見える。
「あ、もうすぐ村だよ!」
 イーノがセインに呼びかけた。手を引いて、再び駆け出そうとする。
 ミセルの村―『平和な隠れ里』。
 その名が示すかのように、村はただ何の異常も見せずにそこに存在しているようにセインには見えた。

 しかし、その想像は早くも裏切られた。
「…あれは?」
 歩みを進めると、村の入り口の辺りで人だかりができていた。それほど声は聞こえないが、だからこそ重い空気が感じられた。
「わかんない…どうしたのかな?」
 イーノも首を傾げたが、構わずに村の入り口へと進んでいった。
 慌ててセインもその後を追う。
 近づくにつれ、様子が少しずつ分かってきた。
 村の入り口の辺りで、ちょうど門を囲む形で人垣ができている。その数は十数人程度。動きはあまり見られないが、どうも不安げというよりは何か明確な意思を持っているかのように見受けられた。
 その人垣の中央には別の人の姿があった。
 見覚えのある背格好、あれは…。
「ただいま!」
 セインが声をかけようとした矢先に、イーノがそう一声あげて村人の輪へと駆け込んでいった。抱きついた女性は母親だろうか。
 同時に、村人の目が後を歩くセインにも向かう。
 そしてそれは村人の輪に囲まれた二人の狩人も同様だった。
「ああ、お嬢ちゃんか…。」
 呟いたのはティーンだった。だが、その声にはひどく疲れたような、また苛立ったような響きもあった。
「あの、お二人とも、どうかしたんですか?」
 近寄りながら尋ねる。
 そこに、叫ぶかのような鋭い声が飛んできた。
「どうかしたじゃないわよっ!一体、この村はどうなってるわけ!」
 パルスだった。
 だが、様子がおかしかった。顔を紅潮させてまで激しく怒っている。
「どうしたって、何が…?」
 問いかけようとしたセインは、辺りの様子に気づいた。
 ティーンとパルスを囲む村人達がこちらに向けて明らかに敵意を持った目線を向けている。
 その中から、突然声が上がった。
「帰れ!」
 拒絶の声。その一声を合図としたかのように、村人は口々に叫び始めた。
「そうだ!狩人どもがこの村に何の用で来たんだ!」
「さっさと出ていって!」
「この村には入れさせんぞ!」
 幾つもの声が重なり合って届く。その誰もが自分達を村へと入れまいとする意志を見せていた。
 響く声にセインは思わず耳を押さえそうになる。怒りとも憎悪ともとれる感情をはらんだ目が、自分たちを睨みつけているかのように感じた。
 怯みそうになりながらも何とかそれに耐え、かき消されないよう大きな声でパルスに問いかける。
「何があったんですか?」
 かろうじてその声は届いたらしく、パルスの口元が歪んだ。
「知らないわよ!村に着いたらいきなり囲まれて、さっきもこんなこと言われたんだからっ!」
 仕草から舌打ちをしたのが分かった。
 ティーンも苛立ちを露わにして村人を睨みつけている。
 事態がまだよく把握できずに戸惑うセインの前で、空気は険悪さを増していった。
「―村の方々も、どうしたんですかっ?」
 不安を感じながらもセインは村人に向かって叫んだ。しかしその声は村人には届いていないようだった。
 こんな事は初めてだった。仕事の中で一部の人間に拒否される事はまれにあった。しかし、これほど多くの村人が自分達に『帰れ』と叫ぶ事など、今までになかった。
 一瞬、先に着いていたティーンらが何かしてしまったかとも考えたがそれにしても様子が異常だ。
 ―まるで村自体が冒険者を否定しているかのような。
「ほら、さっさと出て行けよ!」
 ついに村人が動き出した。
 3,4人の若者が輪から出て自分達に近寄ってくる。武器こそ持っていなかったが、実力行使も厭わないつもりであることは間違いなかった。
 それに応じてティーンが身構えるのが分かった。パルスまでもが、杖をそっと構えていつでも行動に移せる態勢をとっている。
 いくら人数で勝っていても、本職の冒険者が相手ではこの若者たちが無事ですむとは思えない。ましてや二人は村人相手に容赦なく反撃をしようと身構えている。
 さらにはセインの方にも一人の若者が近寄ってきた。
 手を出すつもりはもちろんないが、黙って追い払われるわけにもいかない。セインはうろたえた。
「は、話を聞いてください!」
 なおも叫んだが、若者は構わずにセインの元に歩み寄ってきた。
 その目が自分をじっと睨みつけている。
「…とっとと出て行かなかったあんたらが悪いんだからな。」
 低い声が聞こえた。
 動けない。一般人相手にひけは取らない自信はあったが、それでも動けなかった。
 相手を傷つけたくないという思いよりも、得体の知れない不安と恐怖が体を縛る。
 男の手がセインの肩を掴んだ。

「―やめんかっ!」
 場を圧する声が響いた。
 その声に、その場にいた誰もが動きを止めた。村人だけでなく、セイン、そしてティーンとパルスまでも。
 不自然な沈黙に場が包まれる。
 立ち尽くすセインの視線の先で村人の輪が動いた。人垣が広がって、その中央を通る姿があった。
 杖を手に歩いてくる一人の老人が現れた。
「…何事かね、これは。」
 凛とした声。決して大きくはなかったが、その響きはこの場にいる誰よりも重かった。年齢をあまり感じさせない鋭い口調がそれを強めていた。
 村人は互いに顔を見合わせ、決まりの悪そうな表情をしている。
 セインは不意に肩が軽くなるのを感じた。
 視線を手前に戻すと、自分の肩を掴んでいた若者が手を離していた。セインと目が一瞬合ったがすぐにその視線を下に外す。
 再び老人の方に目をやると、老人は村人を一通り見回していた。そしてその目が一箇所で止まる。
 その先にはティーンとパルスが立っていた。
「…君たちは、冒険者か?」
 老人は静かに問いかけた。
「ああ。あんたこそ、何者だ?…見たところ村長かなんかのようだが。」
 姿勢を崩して腕組みをし、ぶっきらぼうにティーンは答えた。声に不機嫌さはあるが、少なくとも先ほどまで村人に見せていたようなはっきりとした怒りは抑えているようだ。
 そしてそれを聞いた老人はじっとティーンを見詰めた後、大きくうなづいた。
「その通りだ。わしはこのミセルの村の村長、ビルタ・エイタックと言う。」
 そう言うと、一歩ティーンらの方に歩み寄った。
 ティーンらを囲んでいた村人が数歩後ずさり、小さな空間ができる。
 ビルタはその空間に入ると改めて村人を見回した。
「これはどういうことだ?」
 答える村人はいない。
 代わりに口を開いたのはティーンだった。
「さあな。俺たちが村に着いたら突然こうやって囲まれて、何者かと聞かれたから狩人だと名乗ったら急に『帰れ』と言われただけだ。」
 そう言って村人を見やる。その眼差しは冷たかった。
 ビルタはそれを聞くと、少しの間の後にこう言った。
「…すまなかったな、冒険者たちよ。まずはわしの家に来てくれないか、少し話したいことがある。」
 セインの位置からはちょうど影になって、その表情は見えない。ただ頭を下げて謝罪するのが見えた。
 そしてそれを聞いた村人からは不満らしき声が上がったが、ビルタの方は全く意に介した様子はなかった。
 ティーンはパルスに目をやり、そしてうなづいた。
「…まあいいだろう。こっちとしても都合がいいしな。」
 腕組みしたまま答える。
「では、こちらへ。」
 ビルタは踵を返して歩き出した。
 ゆっくりとした足取り、それを追ってティーンとパルスが歩き出す。
 しばらく呆然としていたセインだったが、我に返ると慌ててその後を追いかけた。
 後には戸惑い、ざわめく村人が残された。

 途中でようやくセインは先を行く二人に追いついた。
「…あら、やっと来たの。」
 パルスが冷たく言い放つ。
 セインはその一言に答えるべき言葉が見つからず、黙ってその後を歩くしかできなかった。
 そんなセインの様子に呆れたのか、パルスはつまらないと言わんばかりの表情を見せるともう後を振り返らなかった。
 何も言えないまま、うつむいてセインは歩き続けた。
 踏み固められた大地はどこまでも平らに続いていた。その向こうに人の姿がある。
 村の内部の様子はいたって普通だ。通りにはほどほどに活気があり、道行く人の顔にもあまり暗さはない。
 時折自分達を見て驚いたような顔をする人もいるが、これは日頃冒険者を見慣れてない村人なら仕方ないだろう。
 二つ名に違わず、平和な村だった。
 この平和は何によって保たれているのか…セインはふと不思議に思った。平和は何もなくして得られるものでは決してない。村を守る何らかの存在があるのか、そして存在するとしたら、それは一体いかなるものか…?
「ここだ。」
 ビルタが足を止めた。それにならってセインら三人も一度立ち止まる。
 そこには一軒の家があった。村に並ぶ一般の民家よりは一回りほど大きく、また立派な造りをしている。
「…おや、君も仲間の冒険者か?」
 声に目を向ける。すると、ビルタと目が合った。やはりかすかに驚いているようだ。
「はい、申し遅れてすみません。ライセラヴィから参りました二位巫女のセイン・リアと申します。」
 深く一礼をして自ら名乗る。
 顔を上げると、一瞬ビルタの顔色がかげっているかのように見えた。
 だが次の瞬間には元の表情を取り戻す。
「そうか、先ほどは失礼した。…ここでの立ち話もなんだ、先に部屋へと案内しよう。」
 短く答えてすぐに振り返ると、ビルタは建物の扉を開いた。
 大きな扉は滑らかに動いた。陽を受けて明るい玄関が見える。
 先を行くビルタに習い、三人も奥へと足を進めた。

 通されたのは応接間らしかった。
 ゆったりとしたソファーに三人並んで腰掛ける。その向かいにビルタも座った。
「さて。…まずはもう一度謝罪しよう。すまなかったな。」
 椅子に腰掛けたまま、ビルタは頭を深々と下げた。
 慌ててセインが言葉を返す。
「いえ、それは…こちらも失礼しました。」
 そこにパルスからの冷めた言葉が重なった。
「あら。私たちが何かしたわけでもないんだから、こっちからは謝る必要もないでしょ。」
「しかし、それは…。」
 思わず言い返すセイン。そこにビルタが口を挟んだ。
「いや、少なくともこちらが失礼な態度を取ったという事は事実だ。神官さんは気になさらんでほしい。」
「はい…。」
 パルスから視線を戻し、素直にセインはうなづいた。
 ビルタが落ち着いた口調で話を続ける。
「そして、そちらも疑問に思っていることだろうが…我々があのような態度を取ってしまうのも理由があるのだ。」
「確かに理由もなくあんな態度を取られちゃ、たまんないな。」
 椅子に深く腰掛けて、ティーンがそう口にする。
「ティーンさん!」
 すぐに振り返ったセインは目を合わせたが、ティーンは顔色一つ変えることなくセインを見つめ返した。
 一瞬睨み合う。
 だが先に視線をビルタの方に戻したのは、セインだった。
 ビルタはその光景を見てなのかかすかに視線を伏せていたが、もう一度三人をしっかりと見つめた。
 そして口を開く。
「その理由を先に話そう。その後のことは、聞いてから考えていただきたい。」
 そう言って、村長は村に起こったある出来事を簡単に話した。
 ―かつてこの村にも魔物が現れたことがあった。その折に、村を訪れていた狩人に駆除を依頼した。彼は戦いに参加したもののあまりにも役に立たず、村人に多くの犠牲者が出た。だから、それ以来この村の者は狩人を信用しなくなっているという―。
「お二人が狩人と名乗ってから村の者の態度が硬化したのも、それが原因だ。」
 ビルタは済まなさそうにそう付け加えた。
「…なるほどね、役立たずのせいでこんな余計な迷惑を被るわけだ。」
 腕組みをしてティーンがそう口にする。パルスもそれに同意らしく不機嫌そうにうなづいていた。
 その言葉にセインはまた思わず一声かけようとしたが、それは喉元で止まった。代わりにか唇を小さく噛む。
 短い沈黙が生じた。
「ところで、皆さんはどうしてこの村に?」
 おもむろにビルタが問いかけてきた。
 セインが顔を上げると、ビルタの自分たちを調べるかのような目があった。一瞬戸惑う。同時に、ティーンとパルスが自分を見ていることに気づいた。
 それに従い口を開く。
「我々はライセラヴィから派遣されて来ました。この村の付近に魔獣が現れたとの報告がありましたので、その確認と駆除のためです。」
 自分たちの請け負った任務を答えた。
 それを聞いたビルタが驚いたのが分かった。
「ほう…魔獣退治、かね?」
「ええ。この村にも自警団があるとは思いますが、今回はいささか危険と思われますので。」
 ビルタの顔が曇る。
 それは当然だろう。ここ30年間は神殿に仕事の依頼をすることもなくやってこれた村だ。突然こんなことを言われても疑わしく思うのは仕方ないかもしれない。
 表情に影を残したまま、ビルタは問いかけた。
「それはどのような…。」
 質問はどこか不安げな声色をはらんでいた。
 あるいは、恐れもあるかもしれない。安心させようとセインは勤めて何気ない口調でその名を告げた。
「風に乗る獅子(ウィンディ・レオ)、という魔獣です。」
 瞬間、ビルタの目が見開かれた。
 だがすぐにそれは元の表情に戻る。その名を知っているのかいないのか…どちらにせよやることには何も変わりはなかった。
「心配はいりません。今回手伝ってもらう狩人の方々は、…優れた力量をもっていますので。」
 セインは一瞬だけ言葉につまった。
 確かに彼らの力量は認めるに値するものだ。…だがその人柄には大いに疑問があったが。
「まあ、神官さんの言葉はどうあれ、風に乗る獅子程度の魔獣なら何度か相手した事もあるからな。」
 気づかなかったのかあるいは故意に無視したのか、ティーンはそう言葉を続けた。
「狩人が役立たずと思われちゃたまらないからね、被害が出る前にさっさと始末するわ。」
 ―だから村人の身までは面倒を見ない。
 パルスの言葉の裏にはそういう意思が含まれているのをセインは感じていた。ティーンらが自分たちの仕事は魔獣の駆除だと行動で示した以上、万一の時はセインが自分で村人の身を守らなくてはならない。
「だから、村の方々の安全は保障します。」
 強く手を握る。
 半ば自分に刻み付けるかのように、セインはきっぱりと口にした。
 そしてビルタを見つめる。ややうつむき加減のその顔は何かを考えているかのようにも見えた。
「そうか、それは心強い!」
 不意に、その顔が上がった。表情が明るいものに変わってさえいる。
「ならばこちらからも手伝わせていただこう。頼みたいことがあれば何でも言ってくれたまえ。」
 その言葉にセインはうなづいた。
「ありがとうございます。では、お二人は…。」
 そう言ってティーンらを見やる。ティーンは腕組みをしたまま短く答えた。
「仕事中の宿泊をここでさせてほしい。」
「神官さんならともかく、狩人の私たちを喜んで泊めてくれる宿なんかこの村になさそうだしね。幸い、ここなら部屋数に余裕もあるでしょ。」
 パルスが皮肉交じりに付け加える。
「それなら構わんよ。後で案内しよう。…そうだな、食事もこちらで用意させよう。」
 ビルタはその皮肉には反応することなく、ごく普通に受け答えをした。
 威勢を削がれたのか、パルスの方から決まり悪そうに視線を外す。
「後は、村人の方には協力するよう私から言っておこう。ちょうど明日なら自警団も集まっているはずだ。」
 セインの方に目をやりながらビルタが口にする。
「はい。よろしくお願いします。」
 セインはそう答えて深く礼をした。


 早朝の大通りをセインは歩いていた。
 村の朝は早い。まだ夜明け後一時(いっとき)ほどしか経ってなかったが、既に道には人影がちらほらと見え始めていた。
 すれ違う人に挨拶を返す。
 爽やかな空気と営みを始める人々。街や村が目覚めるこの時間帯が、セインは好きだった。
 足取りが少し軽くなる。
「朝早くから、仕事のお願いをしてすみません。」
 横を歩く人物にセインはそう礼を言った。
「いや、こちらとしてもすまない。時間があればもっと詳しい話をいろいろと聞けるだろうが、ちょうど今朝が出発になっていたからな。」
 言葉を返したのはビルタだった。
 二人は、連れだって村の中を歩いていた。

 昨夜の夕食の後、セインらは今回の仕事でどう動くかを相談していた。
 その折にティーンらはこう主張した。自分たちは村人の反感を買っているだろうから、村の中の情報集めはセインに一任したいと。代わりに、森の実地調査は自分たちで行うと言う。
 セインとしてもその考えに異議はなかった。彼らでは正直村人からの話を集めづらいだろうし、森の調査は狩人が優れている。何より、直接村人に当たるのは自分でやりたかった。
 仕事の分担が決まったところでセインはその旨をビルタに伝えた。
 すると、ビルタは同行すると言った。昨日の今日では村人に連絡をしても素直に話を聞いてくれるかどうか疑わしい。だから直接自分が同行すれば、話を聞く分にもやりやすいだろうということだ。
 セインはその申し出を喜んで受け入れた。
 そして、自警団に話を聞きたいと述べると、自警団は明日からしばらく狩りに出かけるとのことだった。話を聞くには出発前の早朝しかないだろう。
 そこでセインはビルタの案内の元、早朝に自警団の詰所に向かうことにした。

「ここだ。」
 ビルタが示した先には、ちょうど簡易な旅装に身を包んだ集団があった。10人ほどの集団がそれぞれに武器を持ち、馬車への荷の積み込みや身支度をしている。
 その中へとビルタは先に向かった。その後ろからセインはついていった。
 団員とビルタが2,3言話すと、彼は他の団員の元に駆けていき二人の男性を連れてきた。ビルタが彼らの元に歩み寄る。
 そして改めてセインにこちらに来るようにと声をかけた。セインは一歩前に出て、二人の前に立った。
「彼らが、自警団の団長のメイチェルと補佐のエイジャだ。」
「始めまして。魔物駆除の仕事で参りました、ライセラヴィの二位巫女セイン・リアと申します。」
 深く礼をする。同様に目の前の二人も礼をした。
「ようこそミセルの村へ!俺がここで自警団の団長をしてるメイチェルだ。困ったことがあったら何でも言ってくれ。」
「こちらこそ始めまして。私はエイジャ、彼の補佐を勤めております。わざわざお越しいただいてありがとうございます、出来る限りで協力いたしますので。」
 少々オーバーなリアクションで答えたのが団長のメイチェル、その後から穏やかに付け加えたのが補佐のエイジャだ。
 満面の笑みと穏やかな微笑に、セインも笑顔を返す。
「はい。では、時間もあまりないと思いますので、早速質問をしてよろしいですか?」
「ああ、何でも聞いてくれて構わないぜ!最も俺のプライバシーに関することはちょっと答えづらいこともあるけどな。」
「は、はあ…。」
 メイチェルのやたらと陽気な答えにセインは少し戸惑い、つい苦笑した。そこに横合いから声がかかった。
「メイチェル、冗談はそれくらいにしておきなさいね。相手も困ってますよ。」
「いえ、別にそんなことはないですが…。」
 にこやかにだがそっと釘を指したのはエイジャだった。
 陽気な人柄で団員を引っ張っていくリーダーと、その暴走を押さえて肝心なところはきっちりと締めるサブリーダー。組み合わせとしてはよくまとまっているのかもしれない。
「それでは、質問に入りますね。…まず、村の周りの森について聞きたいのですが。」
 村の周囲の森について一番詳しいのはやはり村人だ。自警団なら森の見回りをすることもあるだろうし、あるいは魔獣などの報告も集まっているかもしれない。
「森ですか?これといったことはありませんが…。」
「そう。いたってのどかで平和で、危険な猛獣もちっともいやしない。おかげでこっちは暇になり、遠場まで狩りに行く始末…ってとこだ。」
 最後に口笛まで添えて、いささか大げさにメイチェルが答えた。
 その言葉からさらに質問を重ねる。
「ちっとも…じゃあやはり、この近辺に危険な魔獣の兆候はないと?」
 問いかけにはまずうなづきが返ってきた。
「ああ、俺はほとんど見たことがないな。エイジャ、記録の方はどうなってる?」
「確か…少なくともここ20年ぐらいは、自警団に魔物や猛獣に関する目撃報告などは届いてませんね。私たちでも念のために森の見回りなどは行っていますが、そういう生き物の痕跡はほとんどなかったはずです。」
 イーノが「近くの森は大丈夫」と言った通り、確かに近辺の森には危険なものはいないようだ。
 その事自体は喜ばしい。だが、どう考えても自然ではない。―この森は一体どうなっているのか?
「でも、普通の森だったら自然にそんなことにはなりませんよね。何かここには特別な理由でもあるのでしょうか?」
 セインがそう言うと、メイチェルとエイジャは互いに顔を見合わせた。
「私たちが団に入るよりも前からこうだったみたいですしね…。」
「むしろこっちが知りたいな。そうだ、いっそのことこっちからそこの神官さんに調査を依頼してみるか。なぁ村長さん。」
 メイチェルの視線にセインが振り返ると、村長はあっさりと答えた。
「まあ別の機会にな。…我々としても気にはなるが、この村には被害がないのだからそのままにしておくのが一番安全かもしれん。」
「…ええ。」
 セインは静かに答えた。
 実際、この村は30年以上も平和を保ってきた。今回は偶然にも風に乗る獅子の目撃報告が届いたからこうして来たわけだが、村民に被害が出てない以上は下手に手を出さない方がいいのかもしれない。
 そこまで考えて、セインは首を横に振った。
 過去はどうあれ現在この村に危険が迫っている可能性は高い。だったらまずはその対策に全力を注ぐのが先決だろう。
「どうしたのかね?」
 ビルタの声に、セインは顔を上げるとはっきりと答えた。
「いえ、少し考えていました。では別の質問をします。…かつてこの村を狩人が訪れた時のことを聞きたいのですが。」
 この村を自分たちが訪れた時の村人の対応は異常だった。ビルタに理由を聞いたもののそれだけとも思えないほどに。
 しかし今度も二人は顔を見合わせた。
 そこにビルタが口を挟む。
「セインさん、あれはこの二人が生まれる前の事件だったんだ。その話ならば適当な人を後で連れてこよう。」
「分かりました、すみません。…じゃあ、お二人は今も狩人を嫌っていますか?」
 一度村長の方に向き直ってから、改めて二人を見てセインは訪ねた。実際の村人に直接の気持ちを聞いてみたかったのだ。
 誰か熱心な先導者がいてそれに皆が流されているのか。…あるいは、完全に自分たちの意志で狩人を嫌っているのか。
 メイチェルとエイジャはそれぞれに難しい顔を見せたが、順に答えを返した。
「まあ、な…。親から色々聞かされたし。だからどうも狩人ってのは信用ならねえ気がする。」
「ええ。正直なところそうですね。それに、話に聞く以外には直接狩人に会ったこともないですから。」
「…そうですか。」
 ならば、ティーンとパルスこそが、村人が久々に見かけた狩人にもなりかねない。その事実に更なる不安をセインは感じた。
 …村人が、これ以上狩人に対して不信感を抱かねば良いのだが。
「では、他にご質問は?」
 エイジャの問いかけにセインは一瞬迷い、それから首を振った。
「いえ、今は特に何も。」
 魔獣などの目撃もなく、その原因も検討がつかないのならば彼らに尋ねても仕方ないだろう。
 それに調査の仕事にはそれなりに時間もかかる。
「それでは、これから狩りに行かれるとのことでしたがいつ頃ここに戻ってこられる予定ですか?」
「予定では、一応最大で5日です。」
「ただ大抵の場合は、わりとすんなり狩りが出来ることも多いからな。3日ぐらいで帰ってくると思うぜ。」
「分かりました。」
 ある程度はこちらで調べて、また何かあれば帰ってきてから聞けばよいだろう。調査の類の仕事には一週間以上かかることもよくあるのだから。
 セインは二人に深く礼をした。
「お忙しい中時間を割いていただいて、色々とありがとうございました。また後日うかがうことがあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。」
 とりあえずはここで話を打ち切ることにする。
「いえ。こちらもあまりお役に立てずに申し訳ありません。」
「何かあったらいつでも来てくれよ。こんなかわいいお嬢さんなら歓迎するぜ。」
 丁寧に答えたエイジャと冗談半分にかそんな言葉で答えるメイチェル。
 セインは笑顔とも苦笑ともつかないような曖昧な微笑を浮かべると、もう一度二人に軽く礼をした。
 二人もそれぞれに笑顔を見せると、団員の元へと戻っていった。
 そして二人が歩み去った後でビルタが尋ねてきた。
「あまり役には立たなかったかもしれんな。すまない。」
「いえ。話を通してくださって助かりました。ありがとうございました。」
 振り返ってビルタにも改めて礼をする。
「そうか。…ところで、これからどうなされるつもりか?」
「まずは村の方から話をうかがってみようかと思います。魔獣とは気付かなかったにせよ、何かを見た可能性もありますので。」
 そう言うとビルタは少し考えてから答えた。
「ならば、森の方によく出かける人間を何人か集めた方がよいか?」
「そう…ですね。ただ、どんな小さな情報でも集めたいと思いますから、なるべくなら多くの人の話を聞きたいです。…お時間をとることになりますが、よろしいですか?」
「今日一日ならば支障がないようにはしておいた。それに、村の安全のために必要なことだろう。」
「すみません。」
「気にしないでくれ。」
 そこまで言ってビルタは辺りを見回した。
 つられてセインも見回す。早朝、店や畑仕事などの準備をする人の姿があった。
「…今はまだ朝も早い、もう少し時間をとってからのほうが皆の都合もいいだろう。まずは一旦戻るとしようか。」
「はい。では、よろしくお願いします。」
 その言葉を聞いてビルタは先に歩き出した。
 後からセインもついていこうとする。
 その際に、一度だけ後ろを振り返った。遠くで自警団の団員らが忙しげに準備を続けているのが見える。だが、その表情まではさすがに見えなかった。
 ―彼らが無事帰ってこれるよう、神の守りがありますように。
 セインはそっと祈ると、再び前を向いて歩き出した。

 だが、ここでの情報収集は失敗に終わった。
 ビルタの案内の元で様々な人に話を聞いたが、いずれも森やそれ以外の場所で奇妙なものを見たという報告は一切得られなかった。結局は自警団の話を裏付けることになったに過ぎなかったわけだ。
 だとすれば、村の近辺ではなく多少の遠距離に風に乗る獅子はいるのかもしれない。村人が見かけたこともなく、目撃報告の総数自体が少ない以上その可能性は十分にあった。…村人は一人も見たことがなく、全て外部の人間と言うのがやはり奇妙ではあったが。
 しかし村で情報が得られないようでは仕方ない。ティーンらは三日間にわたって森に入り直接の調査を行うことになっている。彼らが有効な情報を集めてくることに期待するしかないだろう。ひょっとしたら、早々に相手を見つけて始末してくるかもしれない。
 ―それは村の安全を守るためにも望ましいことだ。
 個人的な感情はさておくことにして、セインはそう胸の内で呟いた。


 二日目は文献をあたることにした。
 風に乗る獅子の調査は現地に行っている二人に任せるしかない。だとしたら今の自分ができるのは、同時に受けたもう一つの仕事『ミセルの村の再調査』をすることだった。
 今回の仕事にあたって過去に類似の事件などがないかなどを詳しく調べてみたいと話をもちかけたところ、ビルタに案内されたのは彼の家の一室だった。自宅が村長としての執務室なども兼ねているらしく、仕事に使われる資料などは全て揃えられていた。
「資料はここにあるものでほぼ全てのはずだ。何かあったら、執務室の方に来てくれ。今日は一日そこにいるつもりだ。」
「分かりました。ありがとうございます。」
 礼を言うと、ビルタは部屋を出ていった。
 小さな部屋にセイン独りが残される。改めて部屋を見回すと、壁を埋める本の存在が目に付いた。きれいに揃えられて隙間なく並べられている。ただ冊数はそこまで多いわけではなく本棚にはまだ余裕があるようだ。そんな状態の作りつけの本棚が両側の壁にあった。中央には作業用に広い机と椅子がある。そして正面には白いカーテンのかけられた小さな窓も。
 閉め切られたままだった部屋の中には熱気がこもっている。
 セインは換気のためにカーテンを動かして窓を大きく開けると、早速本棚に向かった。
 まずは自警団の過去の報告などをまとめたものから、次いで村の大まかな歴史について調べることにする。
 前者は、外部からではよく分からないこの村における魔物などの存在についての確認だ。特に自警団では詳しい情報を得られなかった20年以上昔はどうだったのかを調べておく必要がある。31年前に最後の魔物駆除依頼を受けて以来、この村で何が起こったのかについて神殿側では詳しく知りようがなかったのだ。
 また後者は、村に魔物などが現れない何らかの理由がないかの調査だ。魔物などが現れない場所というのはまれに存在する。その多くは古の伝説―かつての降魔戦争時に強い光の影響があって未だその力を宿し続ける土地か、神官あるいはそれに準ずる者が儀式などを行って力をもった場所のどちらかだ。せいぜい30年ほど前から魔物などが見られなくなったのなら後者でしかありえないだろう。ならば村人はそれと気付いてないかもしれないが、その頃に何かが行われた可能性がある。歴史を調べれば、あるいはその一部が見つかるかもしれない。
 数冊の報告書のファイルを手に抱えると、セインは机に座った。写しを取れるよう紙と筆記用具を横に並べて、まずは20年前の報告書を開く。
 窓にかかったカーテンが時折かすかに揺れる。
 部屋の中からは、静かに紙をめくる音だけが聞こえた。

 だが、この調査もまた思うようには進まなかった。
 最大の理由は、自警団の報告書や歴史書を含めて、30年前を境界線とするかのようにそれ以前のものはほぼ見つからなかったことだ。
 自警団の報告書だけをとっても、30年前には既に一般的な数値と比べて魔物などの数は大幅に減少していた。神殿に最後の依頼があったのが31年前。それから一年後には魔物の数はもう皆無になっていたといってもよい。事実その次の年にあたる29年前からは魔物などの目撃報告はなかった。
 そしてその原因を調べようにも、肝心となる30年以上の歴史書が残っていないというわけだ。
 この村に向かう前に、それ以前の依頼のデータを見てこなかったことを後悔したが、今さら後の祭りである。
「困ったな…。」
 セインは椅子の上で大きく背を伸ばした。
 はかどらない仕事続きについ集中力が途切れてしまう。仕方なく、作業は一旦中止して休憩を取ることにした。
 席を立ち窓の元へと歩み寄る。さっきまでは気付かなかったが、空はもう夕焼けの赤色をしていた。
「光よ我が手に集いて灯となれ(イ・アセ・リト・ト・レス・ミ・ファンイン)。」
 呪文を唱えて手の上に光球を生み出す。右手を軽く振ると、それは宙を舞って部屋の中央上部へと移動した。優しげな光は室内を余すところなく照らす。
 灯りをともした後で改めて窓の外を見た。遠くに村の様子が見える。早足に独り歩く人は、家路を急いでいるのだろうか。道を行く人の姿がちらほらと見られた。
 窓をそっと閉めてカーテンを戻す。そろそろ夜になる、昼よりは多少涼しくなるだろうからもう開けておく必要もないだろう。
 息抜き代わりに読めるものは何かないかと本棚を物色した。しばらく目をやるうち、ふと一冊に目が止まる。
 『民話・伝説集』
 誰かが作ったものだろうか、薄い本だった。手に取ると表紙は装飾もなく簡素にまとめられていた。端が多少ほつれているのは古さのせいだろう。
 机に戻りページを繰る。
 中に記されていたのはどこの家にもよく伝わっているような昔話や伝説の類だった。
 降魔戦争の伝説や建国王ソーヴェルの物語から、名もなき聖人の話や森にまつわる民話まで。
 懐かしさのためか無意識のうちに微笑を浮かべていたセインの表情が、突然変わった。
 そこには、聞きなれない話があった。
 『守り神の話』―かつてこの村に恐ろしい魔物が現れた。村の人間も村に来た冒険者も力を合わせて戦ったが、誰もその魔物を退治することはできなかった。その時白き守り神が表れて魔物を退治した。それから守り神はこの村にとどまり、今も恐ろしい魔物から村を守っているという―。
 話としては、それほど変わっているはずもない。むしろよくある話に近い。
 この何の変哲もない話が気になったのは、今の村の状況のためだ。
 ―この村は実際に、何者かに守られている―
 守り神の存在が真実かは分からない。光の神のしもべが現れたのかもしれないし、あるいはそれとは異なる何者かが現れたのかもしれない。だが、その存在は確かに今もなおこの村を守っているとしか思えなかった。…『白き守り神』。
 セインは本の奥付を確認した。
 著者の名は記されていない。ただ、そこには23年前の日付が記載されていた。


 それからさらに続けた文献の調査でもまた、さしたる手がかりは得られなかった。これで二つ目の空振りだ。
 ティーンたちは三日間泊り込みで森の調査に出かけることになっていたから、帰ってくるのは今日の夜だ。
 これからどうしようかと迷っていた矢先に一つ思い出した。以前自警団の所に行った時にビルタが言っていた、「過去の事件を知る適当な人」の存在だ。
 話を聞きに行きたいと申し出ると案内してくれることになった。ただし今回は、ビルタ自身は仕事があるために同行はできず、代わりに一筆したためてもらった。
 正午を迎える頃。
 地図を片手に向かったのは、村の中の一軒の家だった。比較的古びた家の多い地区らしく、付近の家には年季の入ったものもある。
「ごめんください。」
 中からは一人の老婆が現れた。身分を名乗って手紙を渡し、取次ぎを頼んでもらう。
 すると、家の中へと通された。居間であろう一室、小さな机を囲むように二つの椅子がある。セインが片方に腰掛けると老婆は少々お待ちくださいと言い残して奥に去った。
 部屋を見回す。室内に調度の類は少ない。机と椅子の数からして、恐らくは夫婦二人暮しなのだろう。
 そのまま待っていると一人の老人が現れた。
 ビルタの話ではかつての自警団団長、それも事件の時に団長を務めていた人物とのことだった。なるほど年老いてはいるものの体の動きなどがしっかりとしている。
 セインは礼と挨拶を述べると、かつての事件の話をうかがった。

 事件は42年前にさかのぼる。その原因は今も分からないが(恐らくは偶然に近くで門(ゲート)が開いたのだろう)、全くの突然に魔物が村を襲った。当時の自警団が総出で当たったが、苦戦をする。その際に、たまたまこの村にやってきていた一人の狩人がいた。見た感じでは経験を経ており力がありそうだったため、村長はその場で彼に魔物の駆除を依頼した。狩人も最初は渋っていたもののどうにか仕事を引き受けはしてくれた。だが。戦いに加わったものの、その力量は自警団の人間と大差はなく、結局村人の中に多くの犠牲を出しながらもどうにか魔物を討ち取ったのは自警団だった。そして、実はこの後にも問題は起きた。狩人は全然役に立たなかったにも関わらず、当初に約束した報酬を要求した。村は復興のために苦しい状況にあったのだが、最終的には全額払うこととなった。それからこの村に魔物が現れることはなくなり、どうにか村は立ち直ることができたのだが…。
「だから、狩人なんか当てにならないんじゃ。」
 老人はそう言って話を締めくくった。
 ―確かに村人の気持ちも分かる。それがセインの正直な感想だった。
 力量もないのに報酬だけは奪っていく。村に大きな被害が出た事も合わせれば恨むのも仕方ないだろう。
「では、その時以来、他の狩人がこの村を訪れたことは?」
「…特にこれといってはなかったはずじゃ。少なくともわしは知らん。」
 旅する狩人が時折尋ねたとしても、何も起きなかったのなら彼らが活躍することもなく、多くの村人はその存在さえ知らないままに去っていったのだろう。
 かくして村には狩人の悪評だけが伝わり、それは改められることのないまま伝わってよりひどさを増していく。
 その結果があの「帰れ!」の叫びだとしたら。
 仕方はない。だけど、それは悲しいことでありできるなら改められるべきだ、そうセインは思った。
「それでは、もう少しよろしいですか?」
 気持ちを一度切り替えて口にする。
 相手がうなづいたのを確認してから次の質問に入った。
「この村には過去30年間魔物が現れてないようですが、その前はどうだったのですか?」
 質問に対し、老人は遠くを見つめ長らく考え込んだ。
 が、その末の答えは簡潔なものだった。
「…もう詳しくは覚えておらんが、それなりに魔物はいたと思うぞ。だんだん減ってはいっとったようだが。」
 それでも貴重な手がかりであることには変わりない。だんだん減っていったのが事実なら、魔物の減少は長期にわたって進んでいったと思われる。
 さらには当時他に何か変わったことなどがなかったかなども尋ねてみたが、こちらには期待したような答えは返ってこなかった。

「それでは、どうもありがとうございました。」
 一通りの質問を終えて、セインが礼を言って去ろうとした時だった。
「そうじゃ、お前さんは確かライセラヴィの神官だったな。」
 唐突な老人の問いに一瞬面食らったものの、きちんと座り直して答える。
「はい。私はライセラヴィの教えを信じておりますが…それが何か?」
 老人はセインの目をじっと見つめながら尋ねてきた。
「確か、以前聞いたことがあるんじゃが、そちらの教えでは魔物は全て滅ぼすのじゃったよな?」
「…『闇より生まれし魔物は闇に返せ』、とあります。まあ実際は返す手段もないですから、そうせざるを得ませんが…。」
 魔物はこの世にあらざる闇の世界で生まれしもの。その存在がこの世に現れるのは、偶然に二つの世界をつなぐ門(ゲート)が開くか禁術とされる闇の魔法を用いてやはり門を開けて召喚するかのどちらかしかない。
 そして自分たちで門を開く手段がない以上(闇の魔法を使うなど論外だ)、彼らを送り返すことはできないため結果的には滅ぼすしかないのだが…。
 このセインの答えに対し、老人は一瞬迷うかの様な表情を見せた後こう言った。
「いや、ご苦労なことと思ってな。わしらなんかには正直荷が重い、そう被害の出てないもんならほっといてもいいように思うんじゃよ。」
「それは…そういう考え方も、あるとは思います…。」
 その一言に、セインは消え入るような声でそう答えるしかできなかった。
 ライセラヴィの神官は皆、その教えゆえに魔物に対して容赦がない。この大陸の二大宗教のもう一方であるファルの神官と比べれば明らかだ。
 ―そこからついた渾名が、『魔物殺しのライセラヴィ』である。それは悪意ある呼び名ではあったが、確かにライセラヴィの一面を捉えているものでもあった。
 挨拶の後にその家を出たセインの足取りは重かった。
 歩き出そうとして目に入った太陽の光の眩しさに、一瞬眉をひそめる。
 …中傷は時折耳にすることもある。それらには悪意があるからこそ、無視することもできた。だが今の老人の言葉は悪意などない。
 だからこそ、その一言は消えないわだかまりとして心に残った。
 日差しの一番強い時に、その日を遮る物が何もない村の通りを歩いていく。
 暑さのせいか肌にまとわりつくように汗がにじんでいく。
 不快感を消し去るかのように、少し乱暴にその汗をセインは拭った。


 二人が帰ってきたのは夕方を過ぎた頃だった。
 既に空の赤さが黒く塗り替えられつつある時。二人の様子は、それなりに疲れているようだった。
 先に荷を降ろして着替えたいとの言葉のため、セインは夕食を遅らせてもらい皆で共に食事を取ることにした。お互いの報告の場を兼ねてのことだ。
 帰ってきてから一時(いっとき)半がたって、ようやく彼らは食堂に姿を見せた。
「お疲れ様でした。夕食の用意はもうできているようですよ。」
 セインは席を立ち、二人を迎えた。
「ああ。早速食事にさせてもらおうか。」
「しばらくは森での狩りで獲った獲物と保存食しか食べてなかったからね。ちゃんとした食事は久しぶりだわ。」
 それぞれに言葉を口にしながら席につく。
 並べられた料理をある程度口にしたところで、話を始めることにした。
「…それじゃ、そろそろ報告会といくか。」
 ティーンのその一言が合図となった。
 一口ワインをあおってから言葉を続ける。
「先に俺たちの方から言おう。結論から先に言えば、この辺りに風に乗る獅子がいるのは間違いない。」
 明言する。
「森にはいくつも痕跡があったわ。まだねぐらの場所の特定はできてないけど、次の調査で分かると思う。」
 すかさず横からパルスが言葉を付け加えた。
「そうですか、ご苦労様でした。」
 セインが答えると、再び二人は報告を進めた。
「ねぐらの場所が判明したら一度ここに戻ってくる。責任者のあんたにも一緒に来てもらうからな。」
「仕事の完遂の証明は必要だからね。まあ、状況によっては私たちが見つけてすぐに狩ることになるかもしれないけど、その時は一応死体の一部でも持ってくるから。」
 死体の一部とは、まず間違いなく売り物になる毛皮のことだろう。別に利益を求めての仕事ではないから、それに関しては好きに処理してもらって全く構わない。
「分かりました。ありがとうございます。」
「じゃ、次はそちらの番ね。」
 パルスに促されて報告をする。その答えるべき内容の少なさにいささか憂鬱な気持ちになりながらも、表面上は冷静さを装ってセインは言った。
「はい。…まず今回の仕事に関してです。残念ながらこちらの方では、自警団や村人をあたったものの風に乗る獅子の目撃報告は皆無でした。」
 ミセルの村の調査に関しては神殿側が独自に行うべき内容のため、狩人の彼らには特に話していない。だから報告できる内容は限られていた。
「まあ、一応は予想通りだったかしらね。もともと外部からの目撃報告による仕事だったんだし。」
 サラダを口に運びながらパルスが呟く。
「とはいっても、村の周りでヤツは見つかってるんだろ?村人が全然見てもいないというのも妙じゃないか?」
 鋭い言葉を返したのはティーンだった。
 もちろんそれはセインもまた気にはなっていたことだった。
「ええ。そうは思うのですが…直接何人もの方に尋ねたのですが、やはり誰も何も見てないとのことでした。」
「…隠されてるんじゃないの?」
 手にしたフォークを止め、パルスがセインを睨むかのように言い放つ。
 その冷たい表情に戸惑いと憤りを感じつつも静かにセインは答えた。
「なぜですか?それによって村の方々が得することがあるとは思えませんが。」
「風に乗る獅子の毛皮が高値で売れる事ぐらい常識だ。俺たちが来たことでその存在の可能性が高くなった。だから自分たちだけで狩って毛皮を獲ろうと思ってるってのは十分ありえる話だ。」
 理路整然と、だからこそ説得力をもってティーンの言葉が返った。
「そんな、それは…。」
「だいたいいきなり私たちに帰れと言い出す辺りからおかしかったもの。邪魔されたくないとか思ってるんじゃない?」
 セインの言葉を遮って、追い討ちをかけるかのようにパルスの言葉が後に続く。
「…いえ、それはないんじゃないでしょうか。私たちが村に入った段階ではその獲物が何であるか分かるとも思えませんし、それにこの村が狩人を嫌うのにはちゃんと理由がありましたから。」
 きっぱりと反論を返す。
「だがな。最初からこの辺りに風に乗る獅子がいると村の方で分かっていれば俺たちが邪魔なことには変わりはないさ。それに昔の事件だ?いくらでも話なんかでっちあげられる。」
 だがそれをさらに打ち消すかのようなティーンの言葉に、再びセインは口ごもった。
「それは…。」
「そこのところの真相調べがあなたの仕事じゃないの?私たちの仕事を村の連中に邪魔されちゃたまらないしね。」
 パルスの言葉に一瞬強い不快感を覚えたが、もはやセインには何も言い返せなかった。
「…分かりました。」
 ただ、うなづくのが精一杯だ。
「とりあえず、俺たちは明日からまた二日ほど森に行く。村人相手の交渉は任せるからな。」
「下手なことされちゃ余計に危ないわ。無茶な村人の面倒までは私たちでも見切れないからね。」
 二人の言葉が耳に痛く響く。
「じゃ、そっちはよろしくね。」
 パルスの言葉に、答えようとした時だった。

 部屋の扉が音を立てて勢いよく開かれた。
 反射的に三人同時に身構える。
「!」
 そしてセインは息を飲んだ。

「助けて、下さい…。」
 そこに立っていたのは、血まみれの男性だった。


                〈to be continued…〉



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