「花の命は長いから」
ばぶこ


 慣れた手つきで資料を束ねてとめる。
 今日は調子がいい。この分だと五時には帰れそうだ。
「課長、できました」
「おお、君はいつもなかなかに手際がよいね」
 受け取った紙束をぺらぺらとめくると小さく頷き、
「うむ、オーケーだ」
「ありがとうございます」
 軽く礼をして上機嫌で立ち去ろうとすると、
「あ。ちょっと君」
「はい?」
「君は~、たしかもう六年目だったよね?そろそろ…」
 わざとらしく咳払いをする、その続きをにっこりと笑って遮る。
「課長、セクハラです」
 そしてヒールの音も高々にその場を後にした。

 気がつけば同期の者はみんな結婚退職し、残っている先輩といえばお局様くらいしかいない。
 別にチャンスがなかったわけではない。仕事をやめたくなかっただけだ。
「先輩、これ、例のデータのまとめなんですが、どこかおかしくないか見てください」
 同僚にも認められ、若い子にも慕われ尊敬されているこの職場を離れてまで、わざわざ家庭を持つ意味がどこにあろうか。それに……
 ――『生意気なんだよ、女の癖に』
 ――『女の幸せって、仕事以外にもあると思うけどねぇ?』
 女だからという理由だけで、いずれ結婚して退職すると決め付けられるのが、何より癪だった。
「先輩……?」
「え?…あ、うん、まあいいんじゃないかな」
 渡された資料から目を上げると、なんだかそわそわした様子で時計を窺っている後輩の肩をぽんと叩く。
「彼氏のとこ行くんでしょ?続きは午後でいいわよ、早く行ってあげな」
 彼女は気恥ずかしそうに微笑むと、十二時のチャイムとともにオフィスを駆け出していった。
「若いっていいわねぇ」
 誰にともなく呟く。独り言が増えたのも年をとった証拠かもしれない、などと思いつつ小さく肩をすくめて資料を閉じた。

 家に帰るとすでに電気がついていて、ドアを開けると中から、おう、と声がした。
「遅かったな」
「勝手に上がらないでって言った筈よ」
 へらへらした顔を見て大きくため息をつく。
 ……全く、なんでこんな男を好きになったんだろう。
「まあまあ、飯は作っといたぞ。俺様特製ザ・グレイト焼き飯定食」
「……ただのチャーハンでしょ」
「あ、チャーハンを馬鹿にするなよ?これでいて野菜たっぷりで栄養満点な…」
 少し膨れつつ熱くまくし立てる様子を見て、思わず笑みがこぼれる。
「ま、助かるわ。じゃあ早速いただきましょ」
 上着を脱いで小さな炬燵の前に座る。
「どうだ、美味いだろ」
「まあまあね」
 実際、この男の作る料理は私の何倍も美味しかった。……それが気に食わなかった。
「ところでさ」
 急に真剣な顔になり、
「この前の話、考えといてくれた?」
「ああ……」
 二週間前。
 私はこの男にプロポーズされた。
「悪いけど、やっぱ、無理」
 なんで、と言われるより先に言葉を続ける。
「言ったでしょ、私、仕事やめる気ないって」
「そんなの構わない、続けたければ好きなだけ続けてくれればいい」
「だって」
 言葉が出てこない。
「だって……」
 そんなんでちゃんと子供育てられる自信もないし。
 家事と仕事両立できる自信もないし。
 それに、
「……だって、あんたの作るチャーハン、美味しいんだもん」
 彼はぽかんと口を開ける。
「……なんだよ」
 怒っているのだろうか。当然だ。そんなわけのわからない理由で不条理に断られたんじゃ…
「なんだよ、そんなことで悩んでたのか」
 彼の呆れたような声に、私は驚いて顔を上げた。

 昔から、女のわりに、勉強ができた。女なのに、野球とサッカーが好きだった。女には珍しく、理系の大学に進んだ。
 「女の癖に」と言われ続けて育ち、「女の癖に」と言われることが何より嫌だった。
 だから、女だからという理由だけで馬鹿にされないように、男の人達に負けないよう、劣らないようにバリバリ働き、職場でも主任の座までのぼりつめた。
 普通の男の人ができるようなことは大概こなせるようになった。なのに、気づいたら普通の女の子が普通にできるようなことが何一つできなかった。
「大体さ、お前は完璧主義すぎるんだよ」
 彼は私の横に来て、私の肩を優しい感触が包んだ。
「一人で何もかもできなくたっていいじゃん。俺もまだそんなに稼げるわけじゃないから、お前にも働いて助けてもらう。そのかわり、俺も家事とかできることは協力する。二人で助け合って、補い合って生きていけばいい。そういうもんだろ?」
「……うん」
 肩の力が抜けていく。初めて、自分を認められた気がした。
「あのさ」
「ん?」
「さっきの返事、取り消してもいい?」

「先輩、ご結婚おめでとうございます!」
「ありがとう」
 後輩の女の子たちから大きな花束を受け取る。
 ――こういう幸せも、アリかもしれないな。
「でも一番のベテランだった先輩もついに寿退社かー。寂しくなりますね」
 軽くため息をつく後輩を見て、小さくほくそ笑む。
「誰がやめるなんていった?」
「え?」
「仕事は続けるわ。もちろん子供とか生まれたら今までどおりってわけにはいかないだろうけど。でもぎりぎりまで働くわよ……私、この仕事好きだもの」
 後方で目を丸くして泡を食っている課長の顔は見なかったことにして、にっこりと微笑んだ。

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