「早春賦No.666」
あおり


    早春賦No.666
あおり

 階段の踊り場を越え、さらに上って3階の廊下へ。左右を見渡せば、普段以上に廊下が続いていて、その先はまるで闇の中に消えている。
「まったく、皆、どこへ行った?」
 …ちょっと待て。何か変だ。一応ココは学校で、そりゃ夜中に誰がいるわけでもないんだから蛍光灯が消えてれば廊下の端まで見えないってのも有り得ない話じゃない。そう、消えていれば、だ。
「ひぃ、ふぅ、みぃ…(中略)…よんじゅうさん、って、いくらなんでもそりゃないだろう?」
 いやまあさっきからおかしいのはわかってるけどさ。だいたい肝試しってのは夏にやってぞっとさせて涼しくしようとゆー究極の目的があるからこそ成立するんであって、こんな真冬にやるもんじゃないんだよ。そこんとこを解っているんだろうかこの仕掛け人はこんちくしょう。
「合わせ鏡だよ」
「品川?」
 声にふり向いても誰もいない。ああ、幻聴まで聞こえてきたぞ。たしかに品川の声よっかちょっぴし濁っていたような気もするけどさ。さて、これから俺はどうするべきだ? 何? さっさと校舎から出れば良いだろうって? いや、そういうわけにもいかないんだな、これが。というかこんな真夜中に校舎にいる方が変だって? そうだな。俺もそう思うさ。だがな…

***

 話は十二時ごろまで遡る。いや、直接の原因はもっと近いんだけれども、原因の原因としてはこの辺から説明するのが妥当だろうと思うわけなのですよ俺は。
 今日は我が私立某高等学校(伏せているのではなく、【なにがしこうとうがっこう】と読む)の入試の合格発表で、朝から数多くの人間がやってきていた。受験番号を成績順に並べるという無謀な掲示板のせいでなかなか人間が減らないというのも人がごった返している原因だが。おまけに学年の終了式を重ねて生徒と受験生をバッティングさせ、何が楽しいんだか人ごみを作り出す事に腐心しているかのような学校の事務に言いたいことはたくさんあるんだがそれはさておき、俺もまたその無謀な掲示板を見に来た一人だった。生徒会総務部の一員の任務としていくつかの番号をチェックするためだ。とはいえあちこちで起こる小さなドラマについつい目がつられてしまい、なかなか仕事は捗らない。つい先ほども突然走り出した影を目で追えば、カップルが抱き合って喜んでやがった。おめでとさん。俺はすぐさま目をそらす。が、間に合わず視界の端でキスシーン。バカップルめ。
 と、話までそれてた。えーと、そこで、何だっけ。そうそう。俺は秋田雲母に遭遇した。あきたきらら。去年まではその名の通りに輝く肌でもって歴代女子役員の年間男子撃墜記録(単位【人】)を更新したらしいが、思春期性ニキビ症により記録は停滞中。もっとも入学前からの彼氏と宜しくやっているらしいのでそんなことはどうでも良い。ついでにニキビができた頃から笑顔も増えた気もするし。さらに付け加えれば、ただでさえ背が高いくせにポニーテールでさらに身長を稼いでいるという専らの噂(事実だが)。ちなみに生徒会書記。
「東郷くんも寮宿の?」
「そういうこと」
 寮宿とは【受験生のための学生寮宿泊】である。云わば一日ホームステイ。観光地でもない小さな島の宿泊施設の数なんてたかが知れている。というわけで寮の余っている個室や茶道部の和室、その他もろもろの空間を利用して外部の受験生の臨時宿泊施設とするわけだ(まあ、収容可能なのは受験生の2割弱程度なんだけど)。ちなみにこれは寮自治会ではなく生徒会としての企画だったりする。で、寮宿を利用した合格者を対象に合格者祝賀会なる怪しげな会合(単なる立食パーティ)を開くのが恒例行事なのだが、その招待状を出す相手をこうして俺たちは調べているというわけだ。
「きらら、去年の番号って覚えているか?」
 ふと、自分の番号を見つけて気になったので聞いてみた。
「419番。…相良の誕生日…」
 相良、何年目になるのかは知らないけれど、それがきららの彼氏の名前だってことは覚えている。ちょっと目をやれば、すでに真っ赤になってやがる。何を思い出しているんだか。それにしても初々しすぎるんじゃないか?
「なるほど、そりゃ覚えているわけだな」
「…うん…」
 最近彼氏との間に何か良いことでもあったのだろうか。以前はそんな反応を見せたりはしなかったと思うが。
 それ以外には特に会話も無く作業は淡々と続いた。で、作業を開始して二時間ほど経った頃、
「じゃ、お先に」
「あ、終わったの? じゃ、帰ろっか」
「…」
 先に終わっていたんですかそうですか。
 そんなわけで帰ってくる。【生徒会室】とプレートの下がった小部屋へ。
「初号機帰還しましたー」
 そこそこに勢い良く扉を開ける。
「…同じく零号機」
 消えそうな声で、きららが付け加える。妙なところで微妙にノリが良い。
「おかえり、どうだった?」
 返事をくれたのは会計委員長の如月円(きさらぎまどか)先輩。何故か集計だの計算だのがかかわると、金銭に関係なく会計委員が扱う事になっているのは我が校だけなのだろうか?
「九割方合格してます。去年は確か七割切ってたんですよね?」
「というより受験者数そのものが去年より少ないんだけどね」
「へえ…。何かあったんですかね?」
「募集人数を減らしたから」
「…」
 つまり募集人数以上に受験人数が減ったってことか。一瞬理解できなかったぞ。
「それより志真、アレをなんとかしろ」
 奥にいた総務こと関ヶ原諒一郎左衛門理孝(せきがはらりょういちろうざえもんただたか)殿下よりお声が下る。【アレ】…一瞬だけ動いた殿下の視線の先を辿り振り仰げば、壁際に並んだロッカーの上から黒いセーラーの一部が垂れている。誰だよまったくあんなところで昼寝をしているのは…とはいうものの、俺に声が下ったという時点で答えは決まっている。
「品川、起きろ」
 ガン、とロッカーを蹴りつけてから声をかける。
「志真ちゃん…?」
「そういうわけだからそんなところで寝るな、邪魔だ。降りて来い」
「降りて…って、あ、うわ!」
 案の定、寝返りうってそのまま落ちてきやがった。もっとも、それぐらいは予想できたことなので俺は冷静に受け止める。品川小町(しながわこまち)。乙女座の十六歳。そう自称するならせめて仰向けに落ちてきやがれ。
「なんでまたあんなところで寝てんだよ」
 品川を床に降ろしつつ尋ねる。
「うーん。たまには大掃除でもしようかと思って昇ったまでは覚えてるんだけど、なんでだろうね。不思議だねっ!」
「この忙しい時期に大掃除なんてもんをしてる暇はない!」
「なぁんだ、それならそうと早く言ってよ」
「ていうかちょっと待て。そこに昇ったの、いつだ?」
 よく考えれば、誰か人がいたんならその段階で止めるだろう。
「さっき。つまり皆が学校に来る前だねっ!」
「終了式典サボりやがったな」
 そりゃ、あんまし出席する必要のあるようなもんじゃなかったが。
「あれ? もう終わっちゃったの? 校長閣下のお話楽しみにしてたのに」
 心底残念そうな顔をする品川。お前の感性はどっかおかしい。
「で、お二人さん。ラブるのもその辺にしといてくれないと仕事の邪魔じゃないかな?」
 間に入ったのは総務部の良心こと御堂草平。デフォルメすれば燐寸棒と瓶底眼鏡で構成されるような奴だが、どう考えても総務部の中では最高の運動神経を誇っている。
「ラブってねえよ! てかラブるって何語だ?」
 突っ込み返しつつも、内心で御堂に感謝していた。品川とやりとりをしているといつの間にか相手のペースに引き込まれてしまって抜け出せなくなる。人間の世界に連れ戻してくれてありがとう。
「ところで、ここに七枚の寮宿合否調査シートがあるんだが、三箇所で意見の相違が見られるので四人ほど再調査に行ってくれないか?」
 早っ! もう照合おわったのかよ! 如月先輩の絶技に感心する。
「じゃ、とりあえず俺と志真と品川ときららで」
 さっそく答える御堂。ま、今いる一年はこの四人で全部だしな(…むしろ、人数指定の時点でこのメンバー構成を想定していたのだろうけど)。
「りょーかーい。小町ちゃんたちで行ってきまーす!」
「…」
「…零号機、行きます…」
 敢えてコメントはすまい。
 とにかく俺たちは階下へ向かった。三階の生徒会室から掲示板へ。
「人、増えてねーか?」
 見るなり俺はそう言った。掲示板の下の方の数字が見えねーぞコラ。
「何とかなるよ。絶対大丈夫だよ」
 無視。
「あ、143番発見!」
 きららがさっそく指差した先には、確かにその三桁の数字。あとは825番と666番の数字が【ある】ことを確認してしまえば良い。
「825番もはっけーん。」
 三十分後にもうひとつ。でかした品川。残るは後ひとつ。後ひとつ…なのだが…。

 一時間も経過すると、人もだいぶまばらになってきた。時刻は五時前。まだ諦めきれないのか、何人かの受験生が掲示板を食い入るように睨んでいる。わかる。わかるぞその気持ち。俺たちも同じだ(いや、悔しさの比は俺たちどころじゃないんだろうけど)。
「こりゃ、無いみたいだな」
「あ、やっぱり?」
「見つけたら誰かが言ってるって」
「とりあえず戻ろ」
 まあ、俺たちの気力なんてこんなもんだが。すまん。較べたりして悪かった。

「お疲れ様。そしたら今日はもう宛名書きだけだし、数人いれば良いよ」
 数人と言いつつも、現在部屋には言いだしっぺの如月先輩と殿下を除けば我々四人しかいない。
「あ、それなら私、先に失礼します」
「お疲れさん」
「お疲れ様」
 相良くんと用事でもあるのだろう。きららが先に帰った。
「それじゃ、ちゃっちゃかリストを刷るからちょっと待ってて」
「うわーい。個人情報流用ー」
「失敬な。ちゃんと『 祝賀会の連絡などにも用います』って断っている」
 既に準備はできていて、先ほど確認をとってきた三箇所を入力するだけだったのだろう。すぐにプリンタからリストが出てくる。
「たったの八十件だし、一人十六件書けば良いんだからあっという間だね」
「あっという間なら、別にきららを帰す必要も無かったんじゃ?」
「わかってないね、志真。彼女の今すぐにでも帰りたいオーラが見えなかったのかい?」
「全っ然」
「それより先輩、この文字潰れてるんですけど…」
「待って、今調べるから」
「うわ、東京から受験に来てる子がいる」
「馬鹿だろ、そいつ」
「四月朔日なんて苗字の人、実在したんだ」
 そうこう言っているうちに、作業は終了した。
「お疲れ様」
「鍵は、僕が返しておくから」
 総務殿下がそう言うので、職員棟への【出張】は先輩方に任せ、俺らは直接帰ることにした。
 廊下を進み、階段を下り、さらに階段を下り…
「え?」
 その反応は三人同時だった。本来ならそこで校舎裏に出られるはずだったのだ。なのに、そこに広がるのは三階、二階と同じように広がる廊下。
「ねぇ志真、私たち、今、階段を二階分下った、よね…?」
「実は俺もそう思っていたところだ。…御堂?」
「さぁ…なんにしろ、階段はさらに続いているんだから、単なる勘違いだと思えば良いんじゃないかな?」
 それもそうだ、と思ってさらに続く階段を下って踊り場を曲がる、と…。
「何、あれ?」
「赤い、川じゃないか?」
 突然そこは鍾乳洞のようにごつごつとした洞窟内部で、御堂の言うとおり赤い川が流れていた。ああ、あの赤には見覚えがある。一瞬だけあれが溶岩流かと思ったが、それならこの涼しさが説明できない。それに色が全然違う。あの色はむしろ、
「誰の血? あんなに…」
 品川が言うように、そう、あれは血の色。川と見紛うほどに大量の、血液。
「帰るぞ」
 言うなり俺は、踵を返して階上に向かう。ヤバい。あれはヤバい。警鐘が聞こえる。三人で、一階の廊下まで駆け戻る。
「…」
 何も言葉が出てこない。あれは、何? わからない。わかるはずもない。
「忘れよう。今見たのは」
「…」
「…」
「そう、どうせここまで戻ってくれば…。ここは一階なんだ、別の出口まで行けば…」
 言って、数歩廊下を進んで絶句する。
「志真、忘れてるようだけど…あ…」
「何、どうした…の…」
 忘れていた。さっきの血の川を忘れようとする余りに忘れていた。ココは、本来存在しないはずの廊下なのだ。上の階と同様に教室が並んでいようとも、ココは本来存在しないはずなのだ。だから、窓の外に何が映ろうとも関係ない。もはや、ココの存在自体が間違っているのだから。
「宇宙?」
 廊下から見える、一面の星。高さも奥行きも無視して、窓を覆うの漆黒の闇。闇を照らす無数の光。
「なぁ御堂、うちの学校の廊下、いつからプラネタリウムがついたんだ?」
「ご丁寧に立体視できるとは、相当費用も嵩んだろうな」
「私、二階に戻るのが良いと思う」
「賛成」
「右に同じ」

 そうして二階に戻ってきた時、いつのまにか二人は消えていた。

***

 その後はとりあえず上に二人が行ってしまったのかと思って三階まで進んでみた。ふと気になって生徒会室があるはずの場所まで行ってみれば、そこには窓も扉も無く、ただの白い壁を目にするハメになった。それからいろいろ歩き回った。だが、どの階段から降りても、一階の廊下の窓には星空が映り、地下への階段がさらに続いていた。おまけに今見たように廊下が伸びたりと、異常が他の階でまで発生してやがる。ひょっとすると、地面が見えている今のうちに二回の窓から飛び降りるのが正解か?
「うん。それをお勧めするヨ」
「品川?」
 違う。さっきと同じ声だ。これで幻聴は二度目。
「だってこれから、ココはさらにおかしくなるんだから…!」
 瞬間、頭の中に飛び込んでくる映像。見るからに気持ちの悪い老人の顔が、にやりと笑って口を開く。その牙が光った瞬間、それは去った。だが、恐ろしさは増したが、理性からの警告はある程度和らいだ。
 ココは、単なる無秩序ではない。何者かの意思を反映させた超空間。その意思と接触できるのであれば、単なる無秩序よりはマシだ。たぶん。
「そんな自信もイマのウチ…」
 まったくだな。強がっていられるうちに強がっておく事にするさ。
 だが、闇雲に歩き回っても誰にも会えないってのは、辛いな…。
「つまり、一箇所しかない場所へ集まれば良いってことか?」
 一階はすべて行き止まり。同様に脱出不可能。どの階段の下にいるか、なんてことはわからない。じゃあ、さっきの生徒会室前の空間か? なんだかあからさまに危険な気もするが、どうせここにいる限り、危険にあう確立なんてどこでも同様に確からしいに決まっている。だったら良いじゃないか。行ってやる。
「…どうやってだ?」
 永久回廊へと足を踏み出そうとして、止まった。この廊下にはとりあえず見たところ果てがない。であれば、行き止まりで曲がる、だなんて行為も当然不可能。仕方が無いので一旦二階に戻り、迂回してから生徒会室前まで行く事にした。急がば回れ。無事到着。ついでにラッキーな事に人影発見
 長身、ポニーテール、セーラー服…。きらら、帰ったんじゃなかったのか?
「東郷くん…!」
 俺が階段から姿を見せるなり、走りよって来る人影。
「きら…さくなか?」
 秋田咲夜(あきたさくや)。一卵性双生児であるきららの片割れ。瓜二つではあるのだが、ニキビが無いため最近は容易に見分けがつく。綽名の由来は当然「きらら397」だ。それはさておき、
「どうしてここに?」
「…きららに、呼ばれたの」
「きららに?」
 呼ばれたというからには携帯なのだろう。ちなみに校舎内に電波は届かない。
「理由は聞いてないけど、なんだか深刻そうな声で、『すぐ生徒会室に来て』って…」
 でも、いなかった、と…。まあ、確認するまでもなくここには誰もいないのだが。
「東郷くん、ここ、生徒会室だよね?」
「俺の記憶が正しければ、そうだ。…で、いつだ? 呼ばれたのは」
 そうだ。呼ばれたんなら、さくなはいつ校舎に入ってきたんだ? それとも出るのはともかく入るのは可能、とか?
「6時半ぐらい、だったと思う」
 6時半…俺たちが宛名書きをしている最中か。
「それで、校舎に入ったのは?」
「まだ校門を出たばかりだったから、すぐに戻ってきた。3分もかかってないと思う」
「くそ。そしたらさくなが入ってきた直後に一階がああなったっていうのか?」
「ああなる…? おかしいのは、ココだけじゃないの?」
「一旦降りてみるか? 見たほうが早い」
「うん。あ、でも、きららが」
「呼び出したにもかかわらず来ていないってことは、なんらかの理由によって来れないってことだ。それはおそらく、校舎に入れないってことだと思う」
「…どうして?」
「とにかく見に行こう。その方が早い」
 道すがら簡単に状況を説明した。とりあえず外に出られないということ、御堂と品川とはぐれたこと、ひょっとしたら先輩たちも校舎内にいるかもしれないこと、三階でおかしな声が聞こえたこと。
 階段を下る。そして星の廊下の一階へ…。え?

 存在しない一階の廊下に、存在しない川のような流血。

「ちょ…ちょっとタンマ」
「うそ、さっきは…来たときは、確かに…」
「それを言うなら生徒会室だってそうだろ?」
 とりあえずさくなが混乱しているおかげで俺はかろうじて正気を保つ。
「とにかく、上に行こう」
「うん。あ、その前に」
「何?」
「手、つないでてくれる?」
「え?」
「だって、さっきはここで二人とはぐれちゃったんでしょ?」
 なるほど、正論だ。摩訶不思議な力が働いていないともいえないこの空間を歩くのには、それぐらいやっても不十分かもしれないとすら思う。
「それから、とりあえず生徒会室前までもどらない? 東郷くんが見たって言う廊下は、西側の階段を上ったときに見えたんでしょ? だったら、生徒会室の前を通ってからそこに行ったらどうなると思う?」
「そうだな。行ってみよう」
 あの時の声が真実を告げているのならば、そこは合わせ鏡の裏側だ。行ってみよう。これが単なる不条理と無秩序でできているわけではないのなら、ひょっとしたら…。

 結論から言うと、そこには何もなかった。あるはずのものすらなかった。廊下が突然消えていていた。廊下を列車に例えれば、一両だけ抜き取られたような状態。銀河鉄道999の車両を適当なところで抜き取ったらこんな風に見えるのかもしれない。さきほど見た一階廊下の応用だ。二十メートルぐらいの廊下が、壁も天井も完全に透明になって全面で星空を写しているのだと思えば良い。合わせ鏡の裏側。虚空。用意されなかった空間。
「ご名答」
「!」
 ついつい反射的にあたりを見回す。品川に似た高い声。そんな俺を驚いたような目で見つめていることから考えるに、さくなには聞こえなかったのだろう。
「いや、大丈夫、この声は二人ともに聞こえているはずだから。だって…」
 唐突に、吐き気。こらえる暇もなく、俺は廊下に何かをぶちまける。
「いやぁぁぁぁぁ!」
 それを見て絶叫するさくな。数歩後退り、そのまま後ろに倒れこむ。悪かったな。けど、そんなに嫌がらなくても…。痛む喉の痛みを堪え、涙で滲んだ目を拭う。目に飛び込んでくる異形の物体。
「嘘だろ…?」
 俺の吐瀉物が動き、水銀のようにひとつに固まり、そこから何かが生えている。一瞬でそう認識した。人間の頭だ。血まみれの頭。
「だって、僕の声が君の中から聞こえてきたんじゃ不気味にもなるさ…ねぇ?」
 さらに蠢く肉塊。頭だけでは飽き足らず、続いて体が生えてきた。見る間に五体が姿を現す。出てきたるは子供。その体つきは、良くて小学の高学年。声が高いのは女だったというより、子供だったからなのか。
「まぁ、何にせよひとつ忠告してあげるよ。君たち、ラスボスに挑むんならせめてパーティをそろえてからにしなきゃ…ね?」
「うわああああああ!」
 とにかく俺は駆け出した。さくなの右手を掴んで駆け出せたのは奇跡だろう。ひょっとしたら向こうが俺の手を掴んだままだったのかもしれない。いずれにせよ俺の意識した事ではない。生徒会室前まで戻って、転んで、震えたまま立ち上がれない。
 とりあえず廊下の角にあいつの姿は見えない。だが、あいつは今やこのテリトリーの主…。

 沈黙のまま数分が過ぎた。
「…来ない、な…」
「…そうだね…」
「…」
「…東郷くん、私たち、このまま死んじゃうの?」
「わかんねえ。ただ、朝まで持ちこたえられれば…」
「そんなこと解らないよ。朝なんてくるの? 空間がおかしくなっちゃってるのに、時間だけが正常だなんて私には思えない!」
「…」
「でも…」
 さくなの手が、俺の肩に触れる。
「東郷くんは、志真くんはここにいるんだよね…?」
 突然目をあわせられた。女なんてわかんねぇ。仕方が無いので顔ごとそらす。
「なんで…やっぱり邪険そうに扱っていても、小町ちゃんが好きなの?」
「そんなんじゃねぇ!」
 まったく、なんで俺の周りの連中は誰一人俺の本心に気づいてくれないんだ?
「そうだろうね。ま、見てりゃ解るけど」
 声は頭上からした。
「せ…先輩!」
 そこにいたのは如月先輩。
「あー! なんで生徒会室…」
 消えていたはずの生徒会室が復活していた。中には如月先輩と総務殿下だけではなく、御堂と品川も。しかも悠長にコーヒーなんぞ飲んでやがる!
「それを解説すると、こういうことになる」
 如月先輩は天井に手を伸ばし、何かを掴んで引き下ろした。
「シャッター…?」
 完全に、窓も扉も完全に覆ってしまい、そこは白い壁となる。
「夏に肝試しやったときもこのネタ使ってたんだけどねぇ。ほとんど誰も気づいてくれないでやんの」
 カハハ、と笑う如月先輩。
「てゆーかどうしてこんなものがあるんですか!」
「それはだね、我々生徒会総務というのは日々を学生全体のために使わなければならないのだよ。そういうわけで、【有閑倶楽部】の面々のごとく、あんな状態やこんな状態を見られて停学処分を食らうわけには行かないのだよ。君だってそんな理由で文化祭や体育祭が潰れるのは由々しき問題だと思うだろう? まぁ、先生方ぐらいなら裏から多少の手を回せないことはないのだろうけどね。だが世の中にはPTAというものがあるし、教育関係のお偉方の存在も考慮しなければならない」
「まさか、シャッターで生徒会室ごと隠すつもりなんですか…?」
「その通り。そして、予め来賓の方がお見えになる時は片付けにまわす労力を諦めてここをこのように封鎖し、第二生徒会室を利用して仕事をしているフリだけを見せるという寸法さ。まぁ、基本的に酒類その他を引っ張り出すときにはここを閉めて静かに騒ぐ事にしている」
「でも、一見壁にしか見えないだなんて、相当高級な奴なんじゃ…?」
「生徒会費とは別に総務部寄付金が存在するのは何故だと思う?」
「…」
「何はともあれ、だ。とりあえず一階から外に出られなくなっているんだろう? ついでにこちらも666(スリーシクス)の謎をしらべていたところなんだ」
「は?」
 あの、昼間見つからなかった受験番号…?
「この学校には666番はうからないというジンクスがあってだね」
「え?」
「でも十年前に一人合格しているから単なる確率の問題なんだろうけど」
「…」
「ちなみに最初の番号調査は志真と御堂ときららと品川、ついでにあと二年生の二人に依頼したんだ。俺も参加したけど」
「え? 小町ちゃん、ずっとロッカーの上で寝てたんじゃないの?」
「それがどうか…って、あ、それじゃ、七枚目の調査シートは?」
「そう。ちなみに666を合格者一覧に見つけたという調査シートはこれ一枚だけ」
 血のように赤いインクでチェックされたそれは、ひょっとしたら本当に血文字なのかもしれない。
「説明を急いだほうが良いぞ。如月」
 総務殿下が椅子に座ったまま全然焦っていないって表情で冷静に指摘する。
「そうだな。うん。まあ、とにかく666にはそんな謂れがあってね。で、おそらくはこのチェックは過去に666番で受験に失敗した受験生の呪いみたいなもんだろうという結論になるわけだ」
「呪い、ですか」
「良いじゃないか。相手はこんな不条理空間を作り出せる奴なんだし」
 どうでも良いけどこの人、すごく笑顔だ。
「で、だ。666の受験生でさらに既に死んでいる人間を探し出したわけだ」
「相良澄香(さがらすみか)さんね」
 答えたのはさくなだった。相良? 相良ってーと。
「そう。ついでにきららの彼氏の清(きよし)くんの三つ上の姉だね。ちなみに三年前の受験の合格発表に、姉弟そろって出かけて、そのまま行方不明」
「…な、なんだそりゃ。現に、きららは…」
 いや、ちょっと待て。えーと、三年前の受験生の三つしたの弟? てことは行方不明当時、小学六年…さっき見た、血みどろの少年も…。
「まあ、俺からの説明はここまで。というわけでお次はセカンドステージ。まずは先手、品川小町ちゃん。というわけで東郷と品川以外は中で待っていような。邪魔はできない」
「そんな、ちょっと…!」
 俺よりも先に、さくなから抗議の声があがった。
「別にそんな配慮なんて要りませんよ先輩。私は、どこにいたって言えますから。志真が好きだって」
 こいつに普段言われている【好き】とは違う意味の【好き】。いや、それとも品川はいつだって本気だったのか? だが、今重要なのは、今ある真実は、今の、この発言が本気の言葉だっていう点だ。だが…
「何度も言うように、俺の答えは同じだ。俺は本気で品川のこと、友達にしか見ていないんだ」
 何の躊躇もなく言った。普段と変わらない返事を、目を見据えて言ってやった。
「うん。わかってたけどね…」
 ちょっと辛そうに、うつむく。品川。ごめんな。
「ふむ。それでは志真くんの本命はどなたで?」
「ていうか先輩、あんたは何がしたいんですか? 解決策が見つかったってわけじゃないんですか!」
 まったく、恥ずかしい事を言わせやがって…。
「だから、それを実践しているんじゃないか。良いかい志真、これはとても重要なことなんだ。答えてくれよ」
 だったらそのへらへら笑いをどうにかしてください先輩。
「咲夜だよ」
 声は、俺の後ろから聞こえた。品川より少し濁った、少年の声。
「まずい。もう結界が切れたか」
 舌打ちをする殿下。
「さっきまで東郷志真の体内に入っていた僕ならわかる。この男が考えているのは秋田咲夜のことでいっぱい」
「てめぇ、吐くならもっとマシな嘘にしやがれ!」
「好きな子を目の前にしてばらされて怒ってる? そりゃ怒るよねぇ。でも僕の怒りは…」
「黙れこの死にぞこない! 良いか、耳の穴開いてよく聞きやがれ! 俺が好きなのはきららだ!」
 …あ。しまった、と思っている隙もなく、血まみれの少年は動いた。
「…僕の怒りは、そんなもんじゃない!」
 血みどろの手が、鋭く伸びる。思いっきし切れ味良さそうに光ってやがる。
「やめて!」
 振りかざしたその手を見て、これは死ぬな、と思った瞬間、さくなが目の前に立ち塞がる。
 なんで。そう思って、思いかけて、思うのをやめた。さっき迫ってきたのが本気だったってことだろう? 他に何がある?
「どうして! きらら、どうして僕じゃないんだ! どうしてそんな、君を君だとすらわかってくれない男を選ぶんだ!」
 …は? あの、その、この俺の目の前にいる人間は、まさか…
「…」
 無言の圧力。それは、普通に辛いこと。
「なんとか…言ってよぉ」
 刃を床に叩き付ける少年。
「やっと、相良のこと忘れられたの」
 突きつけられる現実。
「やっと、相良がいないんだって理解できたの。だから、やっと笑えるようになったの。だから…もう、出てこないで…」
「な、何を…」
 理解できないのは俺と相良だけではないはずだ。なんだってきららは、こんなむごい科白を口に出来るんだ?
「もう、自分を偽るのはやめたの! だから、相良にも、優しい嘘なんてつけない…」
 トドメの一突き。
「お前なんか、きららじゃない!」
 再び振り上げられた刃が振り下ろされる前に…! 俺は、きららの肩を掴み、覆いかぶさるように倒れこんだ。一撃目は回避。しかし、このままじゃ二撃目は…
「ナーイス、志真」
 バシャ。
「まさにアレだね。『お前はもう、死んでいる』って感じ? みたいな」
 倒れこんだ視界の端に、バケツ一杯の何かとともに強烈な死語を相良に放つ先輩の姿が映った。
「い…嫌だ…死にたくない…姉ちゃん、どうして僕を殺すの?」
 相良の…悲鳴?
「やっぱり道連れにされたんだな。気の毒に。俺もそう思うよ。死ぬならてめぇだけで死ねって。つーわけで悪いが俺も君と一緒に死ぬ気はない。それっ」
 バシャ。笑顔で再びバケツに入った液体を相良に浴びせる先輩。
「や、やめてぇぇぇッ!」
「先輩、これも」
「よしきた。それっ、って、これ、俺の大吟醸じゃねーか!」
 如月先輩、全然悪いだなんて思ってないな…まあ、いいや…。
「もう一息だ。というわけで僕からもとどめにこれを、と」
「だから総務、それ、おーれーのー!」
 そんな…声を聞き…ながら…俺の…意識は…沈没し…た…

***
 後日、村興しのための地引網から二人分の白骨死体が発見された。しばらくして、相良姉弟のものであることが判明。自殺か他殺か事故かだなんてことはまだわかっていない。

***

「で、相良少年は結局何のために化けて出たんだ?」
「さあね。どうせ目的なんてどんどん変わるもんじゃないか? きっかけはたぶん、666の怨念みたいなもんだろうけど」
「とすると、あれは相良姉弟の仕業だということもできるんだな」
「そうなるな。そして十年に渡る666番の不合格者たちの怨念」
「そうか、それにしてもなんであの夜、きららの肌にニキビは無かったんだ?」
「それなんだが…先輩が言うには、『相良がそっちを望んだんだろ? 自分のテリトリーなんだから何でもありだよ』だそうだ」
「そうか。結局問題ないんだな。相良に【きららをきららだとわからない男】だなんて言われたことを気にしてたんだけど、【相良の理想のきらら】なんて俺に解るわけがないじゃないか。俺は今のきららに惚れたんだしな。過去じゃない。いや、別にニキビが直ったら興味がないなんていう意味じゃないぞ。決して」
「わかってるさ。それより気づいているんだろう? きららは…」
「きららは、結局まだ芯のところで相良を好きだってことか?」
 御堂は、何も言わなかった。
「それにしても御堂、お前、いつの間に生徒会室に行ってたんだ?」
「はぐれた直後だよ。俺はシャッターのことを知ってたし。しばらく志真を探して、ちょっと休憩してたとこ。簡単な結界もあったし」
「結界?」
「ああ、部屋の四隅に塩の塊を置いといた。シャッターが下りている間はそれこそ安全だったし。結局一時的な効果しかなかったらしくてあいつにみつかっちまったけど」
「まぁ、何にしても酒が利くなんて、よくわかったよな、先輩も」
「ああ、アレか。ちなみに殿下の発案だ。『敵が幽霊なら、それはこの世のへの未練という強い思いが原動力と相場は決まっている。ならばこちらも塩や神酒に力があると思いこめば良いはずだ』」
「それ、実は酒である必要なんてなかったんじゃないか?」
「いや、酒にも塩にも清めの意味があるっていうのは、日本人の発想に組み込まれているだろう? 確立した既存の概念を利用しない手はないんだってさ」
「なるほどね。あ、ついでに如月先輩の隠し酒の半分をぶちまけることも計算に入れてたりして」
「ありえる!」
 ははははは、と笑って空を仰ぐ。
 屋上から見ても、空は果てしなく高かった。


◇◆◇◆あとがき◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 (おそらくこれは新入生歓迎号としての意味合いも持つのでしょうからとりあえず)新入生のみなさん始めまして。【あおり】というペンネームでこんな感じの小説ばっかり書いている者です。ちなみに〆切後に修正版と差し替えてもらっています。
 時間に迫られていても、書いてる最中って言うのは楽しいです。書きあがるギリギリまで本人にも結末がわからないっていうのは楽しいです。だから構成が甘いんですね。ごめんなさい。それではまたいつかご縁がありましたら。
三月十一日午後五時半

◇◆◇◆追記◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 誰かさんと誰かさんを描写している時にイメージしていたのは光流と忍です。

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