「頸玉」
あおり


   昔語り
結構昔の話さ。とある海辺近くの村に、酷い旱魃があったんだと。
それもたったひとつしかない川の水が干上がってしまうような激しいやつ。
しばらくは貯蓄と海の幸でなんとかなるが、それも長くは続かない。
で、村人たちは古いしきたりどおりに若い娘を供物として水神に捧げることにした。
水無川となってしまった川底にそれはそれはでっかい榊を突っ立てて、娘を縄で縛り付ける。
両岸に燎を炊いて騒ぎ立て、夜になったら娘を残して村人みんな家に帰っちまう。
もちろん水神様を見ようなんて馬鹿な事を考える奴ぁいない。
神の怒りに触れようもんなら村がなくなったっておかしかないんだからね。
そんで翌朝には娘も榊も燎もみんななくなっちまって川には水がとうとうと流れてるって寸法さ。

ところがそん年の雨乞いはそうはいかなかった。
娘も流れた。榊の柱も流れた。土手の燎も流れた。とここまでは良かったんだが、
どういうわけか、村まで綺麗すっかり流されて今じゃみぃんな海の底。
水神に捧げられた娘の代々の恨みが積み重なったからとも伝えられちゃいるが、
こっちで聞くのは別の理由さね。
そう。それがこれから語ろうって話なのさ。

 1.演奏前のざわついた静寂

……
村にはついに、朝が来なかった。
村があったと思しき箇所さえ、今は全く見当たらない。
黄色の裸の土が大地を覆い、草木一つ生えていないというところが、
村のあった痕跡と言えば痕跡かもしれない。
その空白のまっただなかに、一人の娘が佇んでいる。
呆然と、何かの感情を探し出すかのように、じっと――。
「……これで、良かったはず………なのに………………………」
そばに誰かが居たとしても聞き取れないほどにかすれた声で、娘は言った。
「こんな村、なくなって…」
娘はそんな言葉を繰り返し、その場に泣き崩れた。
だが、その声とならない言葉に答えるものがいた。
「そなたは、美しい」
その青年は、どこかから持ってきたような科白を流した。
きっ、と娘は振りかえってにらみつけた。
「あなたが! 村を!」
走りより、青年の胸倉をつかみ、叩いた。
どんどんと叩き続けた。
「……どうして……」
やがて手を止め、誰へも向けられない疑問を発した。
「そなたに、我は惹きつけられた」
顔には何の感情も載せず、青年は答えた。
「我が爪の先が大地を掠めたとしてもしかたあるまい?」
「皆、水が欲しかっただけなのに。水が…」
「神ですら絶対ではない。人間など儚いもの」
「村がこうなったのは……!」
「だからこそ、斯くも生に執着するのかだ。そなたを犠牲にしてまで。
 それが悪いわけではない。それが、うたかたというもののさだめ」
青年は、あるで娘の存在を無視するかのように話した。
神とは、そういうものだから――。
青年は龍神、即ち水神の化身であった。

村は蘇らない。
「神」がこの世から消失せしめたものだから。
魂ごとすべての世から失われた。
彼らは冥府にもいけなかった。

「泣くでない」
数刻して、水神は娘を抱き寄せた。
「今の騒ぎで我も高天原を追われることになる。度々豊芦原の娘を攫っていたと分かってはな。
 そうでなくとも天照は我を疎んじている様子。我もしばらくはこの地にいよう」
「……?」
娘の理解していない様子に、青年は続けてやった。
「そなたを棄てた村のことなど忘れよ。我は決してそなたを棄てない」
「……」
娘の目つきが変わった。
「まだ分からぬか? 我は――」
「……はい」
娘は頷き、わっと泣き出した。
泣き崩れた。




ここに、神と人の血が交わったってワケ。
ついでに子孫はその証として水神の頸から与えられた玉を受け継いでんだと。
で、その頸玉をもってたのがとあるお国のトップ。
こっからは、その国の話。

 2.存在しない主旋律

ある晴れた春先の午後、海辺の小さなお城の中庭を一人の少年が歩いてる。
まだ幼児といっても差し支えない年頃だ。
名をたつみといったらしいが漢字は伝わっていない。
手には花を持って、といきたいところ。
しかし彼がよろめいているのはいっぱいに水を張った桶によってだ。
戦死した兄や父、そして名も亡き勇者たちの墓前に作った小さな花壇。
それを彼は一人で世話していた。
別に秘密というわけではないが、誰にも言っていないので誰も知らない。
実のところ、その少年は父の訃報より後、まったく口を利いていないのだが。
しかしである。
幾月か前に戦争が始まり、数日前から跳ね橋は下ろされていない。
つまり濠と城壁が外部を遮断してはいるものの、既に兵は全滅し、
城内に二人分の指にも満たない非戦闘員がいるだけ。
この状態でまだ敵に降伏しようとしない城長に比べれば、
口のきけない少年のほうがまだずっと自然なのではなかろうか。
もっとも、それも言うだけ無駄なことだった。
今や城の殆どの住人が狂気に犯されているのだから――
話をたつみ少年に戻そう。
彼は中庭を北川へ突っ切り、外庭へでた。
無論城壁の内側である。
「たつみー」
背後から呼ばれ、彼は立ち止まった。
ふりかえると、はるか頭上にて手を振る人影があった。
この年の頃十四五と見える少女の名を「おつ」といい、とある文献にある「乙」という名が
彼女のことではないかとも言われるが、未だ定かではない。
「なにしてるの? すぐ行くから待ってて」
乙は城長の娘であり、たつみはその臣下の子であった。
だからというわけではないが、たつみは待った。
水桶をおいて、東方を見やると、ちょうど城壁から日が昇るところだった。
言葉通り、乙はすぐ現われた。
緋色の着物は彼女を実際より幼く、しかし精神年齢には近づけて見せた。
「そのお水、どうしたの?」
たつみは乙の来た方を指した。
「井戸から汲んだのはわかってるわ。それをどうする気なの?」
たつみは微笑い、乙を手招いて進んだ。
「お墓?」
たつみは頷き、石を積んだだけの物体に向かって手を合わせた。
乙もそれに倣った。
ここに彼らの遺骨があるわけではないし、何かの記念があるわけでもない。
それでも墓というものは建てられる。
その日初めて、乙はそのことを不思議に思った。
やがてたつみは面をあげ、うしろの花壇に水をかけ始めた。
花壇といってもまだ緑の芽が所々から突き出しているだけの存在に。
「ああ、たつみの父上が遺していった奴ね」
乙は漸く思い出した。
たつみの父が出征時に彼に預けた種のことを。
花が咲く頃までには帰ると契った種のことを。
その約束が叶わぬことが確定し、たつみが声を失い、母が目を閉ざした時のことを。
なのにあなたはまだ育てているの?
そう問いたげな乙の瞳に、たつみは首を振った。
それから静かに墓標を指した。
――とうさんが還らないのはわかっている――
――自分はただ、お墓の人達のために育てているんだ――
「明日からあたしもするね。今日は襷探さなくちゃ」
庭土をいじるたつみの背に向かって言った。

十日もすると、梅雨に入った。
相変わらずたつみは花壇の世話に余念がなく、雨の中でもお構いなしだった。
それを気にするものは、乙を除けば誰もおらず、それも日によって気まぐれだった。
たつみの母は父の死を受け入れきれず、城の余った部屋で狂ったような笑みを浮かべているだけだし、
その他の住人も皆一様に生気はなく、慣性で戦の前の仕事を続けているようなものだった。
先日から城長の体調がすぐれないらしいがたいしたことではない。
幸い食料だけは向こう数ヶ月分保存されてはいるし、敵軍も濠を越えて責めてくる気配はない。
ただその日を前の日と同様に過ごすだけの毎日であった。
「たつみや、こちらへおいで」
その日は珍しいことに、帰ってきたたつみは母に呼ばれた。
「可愛いたつみや、こちらへおいで」
焦点の定まらない目で母は繰り返した。
たつみはその目に操られるように進んだ。
「いとしいたつみや、早く大きくなっておくれ」
抱きしめて、母は囁いた。
「父さんのように立派になって、母さんを守っておくれ」
たつみは初めて、母親を怖ろしく思った。

乙は自分より年下の者と以外、誰とも会話をしなくなった。
黙っているのではない。
会話もしないわけではない。
しかしその相手の姿を見ることは誰もかなわない。
宙に向かってなにやら話し掛けているのが見えるだけであった。
「それでね、あたし、花壇に行ってみたの――」
唯一話し掛けるたつみにしても、返事は返ってこない。
少なくとも、言葉では――




とりあえず話は始まったばっかりなんだけどな。
いや、半分くらい話したか? まあいいや。
とにかくその頸玉の伝わったお城が攻められているわけで――
……とにかくそういうこった。はい、次。

 3.最終楽章への通奏低音

「お前……私を殺す気なのだろう?」
そう、言わなければならないのに。
言って、この均衡を崩さなければならないのに。
どうしても、言えない。
先延ばしにしてしまうのは、なぜだ?


結局跳ね橋は上がってしまった。
自分の目の前で。


お父様、あたし、本当は知ってるの
お母様が……


むこうには
もうあのひとが
みえていたのに
まだじかんがあったのに
あがってしまった
はねばし
てきこくのへいは
あそこにはいなかった
はやすぎた
はねばし
だれがあげた
しらない

なんであなたは
あんなにはやく
はしをあげたの

臆病な人だから


狂気が交錯していく中で
一体「正常」とは何なのだろう?


もういちどきこうよ
はねばし
あげたのはしらないひと
なら
あげさせたのはだれ

臆病なあの人


梅雨が明けた。
もう、私も永くない。
皆を呼ばなくては。
どうにもならないことだが、
それでも……


晴れ渡った空の下、その日、花壇にはたつみの姿はなかった。
外庭を巡回する見張りすらいなかった。
なぜなら、全員が集められたからだ。
城長の部屋へ――




もうなにも言わねぇ……。てめぇの目で確かめな。
再会すんのは、その後だ。
もっとも、本当に「その後」があればだがな。

 4.崩れ去る舞台

「今日皆に集まってもらったのは――」
城の一室から、病気だという割には毅然とした声が響いている。
「死ぬ前に二つほど、言わねばならぬことがあったからだ」
誰も、何も言わなかった。
「知っての通り、この城はじきに陥落する。私が死のうと死ぬまいとに関わらずな。
 それは、もうどうしようもない。しかし、なぜ今あちらが攻めてこないかわかるか?
 いや、そもそもこの戦のわけからして、皆にはだまっていた。それが一つ。
 そして――もう一つは謝罪だ」
城長の口調に淀みはなかった。
急ぎ伝えねば手遅れになるという焦りもあった。
その緊張でもって、ぎりぎり病魔を抑えつけているのだと、
誰の目にもはっきりと映った。
「謝罪から言おう。
 あの日、つまり最後の兵を残して橋を上げさせた日。
 私は自分が臆病だったと謝ったな。しかし、実は違うのだ――」
城長は語った。
あれはわざとであったと。
戻ってきた兵の中に、ある男がいたからだと。
あの時は心底身が震えたが、それは自分の悪魔的な心への震えだと。
「気がつけば、橋は上がっていた」
「それじゃあ、うちの人は! 御館様の私怨にまきこまれて?!」
立ち上がったのはたつみの母。
「いや、そうではない。
 お前の……お前の夫こそが我が妻と密通していた男なのだ」
「――!」
そう言われて、彼女は言葉を失った。
「勝てぬ戦とはいえ、済まなかった。私には、何も――」
そこで城長は咳き込んだ。
「そしてこの戦のわけだが――乙」
「はい」
誰もがいぶかしんだ。
乙が、まともに会話をするなど――
「お前の首飾りを貸しておくれ」
「はい」
乙のうけこたえは、十かそこらの子供のそれではなかった。
十四五の娘に相応しい、しっかりしたものだった。
「皆も竜神の頸玉のことは知っておろう」
乙が襟の内から取り出した首飾りを持って、城長は言った。
「むこうはこれを狙って戦をしかけてきた。
 伝説では、龍神の血を引く娘が本当に危機に晒された時だけ御力が顕われるという。
 つまり、乙を娶り、血を取り入れようというのだ。
 当然むこうは乙を危機に晒すわけにはいかない。
 龍神の御力が顕現すれば、むこうは瞬時にして灰と化すのだから」
「じゃあ、乙に頸玉を持たせて戦場に出せば……」
 家臣の一人が言った。
「いや、それでは乙一人が助かり、我々はみな滅びたであろう。龍神は娘本人だけを
 助けようと約束したという」
「だがあなたは試そうともしなかったではないか!
 もともとあのような強国に我々が勝てるはずがなかったのだ。
 ならばこの国の命運、龍神に懸けたほうがましだったはず」
「だから、今日皆をあつめたのだ。
 乙の頸玉に懸けるか…、
 緩やかに食料が尽きるのを待つか…
 今まで何の話もできなかった私を許して欲しいとは言わぬ。
 後は……私をどうするかも含め……自由、に……」
「城長!」
語り終え、首を垂れた城長に、一部の家来が駆け寄る。
こんな話の後でさえ、忠誠は失われてはいなかったのだ。
「父上! 妾を置いて――」
最後の「逝かないで」は喧騒にかき消された。
しかしその喧騒も一瞬のこと。
沈黙はすぐに再来した。

死んでしまった。
妾の父上が。
あの女の。
せいで。
父上。
…………………………………………………………………………………………許さない

そして、いかづちが訪れた。
城を取り囲んでいた敵国の兵はさぞ驚いたことだろう。
空には雲一つなかったのだから。

稲妻は、城主の妻の頭上に直進した。
城内は瞬時に火の海と化した。
皆突然のことに慌て戸惑い、乙に気付きもしなかった。
少女が、泣きながらも笑っていることなど。
そして殆ど間を置かず、第二、第三の衝撃が迸る。
犠牲者はすぐに生存者を上回った。
そしてついにたつみも倒れた梁の下敷きとなる。
「たつみや。たつみや。出ておいで。可愛いたつみや」
現実を映すことを拒んだ瞳にはいったい何が映るというのか。
たつみの母は、ひたすらに吾が児を呼びつづけた。
ひたすらに……
そしてふと顔を上げた。
本当に彼女の瞳には何が在ったにせよ、既に事切れた乙の抜殻が映ったことだけは確かだ。
母親は静かに立ちあがると、その側へ歩み寄った。
すでに、雷を呼ぶものは倒れている。そして炎の中、頸玉に触れた。
「水竜よ。この身を捧げます。何卒、何卒あの子を……」
願うが早いか、その身は淡い燐光に包まれた。
たつみの母は目を閉じた。そして自分の体が分解されて行くのを、視た。
随分と久しぶりに見た、現実であった。
塵芥となった肉体と魂は、暫時はまだ消えぬ炎に煽られていたが、
やがて意を決したかのように乙の屍へと入り込んだ。

“彼女”が目を開けたとき、天井は破れ、空が見えていた。
遠くから人の声が聞こえる。城を取り囲んでいた敵国の軍か。
ともあれ“彼女”は立ち上がり、すぐそばの梁の下を覗いた。
炭化した人間の塊があったが、ふれた途端に風化した。
「待っ――」
手をのばすも、たつみは虚しく消えていく。
そして同時に、ゆっくりと梁が沈んで行く。
伸ばした指先がぴくりと動く。
ゆがんだ掌はどこにも行けなかった。

そんなはずはない。
私のたつみがどこかへ行ってしまうなんてあり得ない。
そうよ。これは嘘。
嘘に違いない。
間違っているのは、たつみではなくこの世界のほう。
たつみや、かわいいたつみや…
戻ってきておくれ。
わたしの、たつみ…
こんな偽物の世界、塗りつぶして戻っておいで。




そして、やってきたのが大津波。
つまり、初めと同じ事が起こったってワケ。
でも今度はその後が違う。
乙に入り込んだ少年の母親は自分の願いを後悔なんざしなかったってこった。
つまり、そういうこと。
この話はこれでおしまい。
まあ、続きがないってワケじゃあない。
どんな話にだってその後も世界は続いているもんさ。
なんなら覗いてみるかい?





ほら……

  5.アリア・青の世界

その娘が辿り着いたのは海中だった。
意識もなく波間を漂ううちに、纏った龍神の気配に魚たちが寄ってくる。
彼らは聞いた。“彼女”の口から漏れるうめきを、歌声として。
    たつみや…たつみや…どこへいったの…
死してなお、いや一度死んだからこそ、事実は受け入れない。
その必要はない。
    たつみや…戻っておいで…
その想いは、龍神の血も手伝ってか海原に広まっていく。
    お前に会うまで、わたしは死なない…
結晶化された想いは、やがて“彼女”の居城を形成した。
彼女が目を覚ましたのはその城でだった。
「お目覚めになられましたか。主上」
声をかけてきたのは、とある魚だった。
タツノオトシゴだとも、リュウグウノツカイだとも云われている。
「主上? わたしが?」
目を開くよりさきに、言葉が出た。
「はい、龍神様は水の神、つまりこの大海の主であらせられます。
 主上がその血をひき、そして色濃くその気を有しておられるのは明らかですから」
「そう……」
よくは理解できない。
なんとなく納得してみる。
特に抵抗もなく、受け入れてしまえた。
しかし――
なんだかよくわからない、淀んだものが自分の中にあるように思えた。
「ところで主上、御名をお聞かせ願えますか?」
名前? 誰かに呼ばれた記憶なら、かすかに残っている。
「たしか……乙、と……そう呼ばれていた気がする」
誰にだ?
誰……大切なひと?
そう。
たしか、とても大切な人に。
「乙姫、ですか。
 お目覚めのところ、申し訳ありませんでした。
 また何かあったらお呼びください」
「何て? あなたの名はなんていうの?」
すると相手は苦笑して、
「名前など……
 好きにお呼びください。
 私どもには名などございません。
 誰かを呼べば、誰かがやってきます」
そう言って去ろうとして、その名もなき従者は言った。
「ときに主上。たつみや様とはどなたです?
 夢に、しきりにその名を及びでございましたが」
瞬間
何かが頭を突き抜けていった。
白い手。
いとしい人だったろうか?
小さな顔。
いいえ、たしか
崩れ去る身。
かわいそうな人だった……
春風に舞う灰。
……………………たつみや。
どこにも行かないよねぇ……可愛い………た…つ……み…………
「すぐに戻ってくるの……」
“彼女”は呟いた。
「なるほど。主上はそのお方をお捜しに下られたのですね。
 では、たつみや様の名を頂いてこの城に名付けましょう。
 龍宮、と。
 龍神の御子たる主上の宮城にも相応しい名です。
 たつみや様と離れてさぞつらいことでしょうが、ご辛抱くださいませ。
 ここにいらっしゃったからには、いつかかならず見つかりましょうから。
 万が一亡くなられていた折には、時を戻しましてでも」
くすり。
“彼女”は喘った。
「どうかなさいましたか?」
「いいえ。いつかは会えるのねと」
会いたい。会いたい。早く戻っておいで。たつみ。


のちに付近の漁村で広まった奇怪な噂にいう。
すなわち、海には竜の娘がいて、迷い込んだ者の時間を奪い、老人となして陸に棄てると。
盗んだ時間で、たつみという男の魂の時間を逆行させているのだと。
そして蘇らせる気でいるのだと。
正気の沙汰とは思われぬ、なんとも狂った話である。

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